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『glow』と『星空』の歌詞対比~コロナ禍に見た、道の上と星空にある宝物たち~

水瀬いのりさんへの、渕上イズムの継承論

コロナ禍が明けて一年以上経ったでしょうか。
今でもマスクをして過ごされている方もまだまだいますよね。
あの時期を経て、さまざまな生活スタイル、趣味などが一気に変わった方も多いと思います。

思えば、声優オタクの方々も、ツイッターのタイムライン上で「声優たちがただ楽しそうにおしゃべりしてミニゲームするだけのイベントに行くのをやめた」みたいな記事をあげて、声優オタクを脱却された方が多いように見えます。
それは一つの「取捨選択」というところでしょう。


「取捨選択」という意味で今回、取り上げたいと思ったのが、割と私のnoteでは何回も取り上げているであろう二曲になります。
水瀬いのりさんの「glow」と、渕上舞さんの「星空」。特に後者については、私もいまだに大好きな曲で、このタイトルを冠したライブを超えるものはないと思っております。

さて、そんな二曲の共通点を先に説明しておくと、このコロナの時期を経て、それぞれが悩み考えだした結論であるということです。
まずは、当時の楽曲インタビューから振り返ってみましょう。



インタビュー

まずは水瀬いのりさんの「glow」のインタビューから顧みていきます。

――今回、3年ぶりのアルバムになりますが、その間、世の中の情勢的にも大きな変化がありました。
水瀬いのり それまでは1年ごとにアルバムをリリースして、それに伴うツアーも開催していたので、ずっと駆け抜けているような感覚があったんですけど、この3年の間、コロナ禍でライブが中止になることもあったので、改めて自分のアーティスト活動を振り返ってみたり、表舞台に立っているときの私とは違う、「本当の自分」を見つめ直す時間が多くて。そこで自分が本当に好きな音楽、本当に伝えたいものを改めて精査できたし、私は性格上、しっかり立ち止まることも大切にしたいタイプなので、個人的には止まっていた時間も無駄ではなかったと思っています。

と述べられています。
ずっと毎年続けていたライブツアーの中止という、結構大きな痛手。ずっと続けていたものを一回は中止にせざるを得なかったという、そういった経験を踏まえると、「glow」が、良くも悪くもというべきか、コロナの影響を思想面でもろに受けた楽曲であることが窺えます。


さて一方で渕上舞さんの「星空」です。
これは、直接的ではないですけど、「星空」に関するインタビュー記事から。


――アーティストデビュー3周年を迎え、心境の変化などはありましたか?
もう、3年も経ってしまった、あっという間だったなというのが正直な感想です。ここ1年半は、コロナの影響もあり、身近な環境も時の流れも普段と変わってしまい、何もなかった空白の時間でもありましたが、例えば、最近のアーティスト活動では、オンラインという新しい形でファンのみなさんと交流できたことは、こういう状況でなかったらやらなかったであろう形なので、よかったことといい意味に捉えています。あっという間にすぎた3年ですが、いろいろな種類の経験ができたので、充実感はあります。

この頃、確かに「まいのうた♪」という形で、ちょっとしたスタジオを借りて、オンライン配信の上で、観客からくるチャットを見ておしゃべりしながら歌を歌うという、なかなか画期的なライブを行っていました。そういった点では、良い実績というか、コロナ禍に「取捨選択」したものとして非常によいものだったと思います。


とはいえ、いのりさん舞さん双方にいろいろ思うことが多かったコロナ禍。
やれることもいっぱいあったであろう、でもできなかったという悔しさの念が見えるのは間違いありません。



ようやく歌詞の考察に入ってまいります。
まずは、いのりちゃんの「glow」の歌詞から、何を伝えようとしているのか考えていきましょう。
以下、お読みになる時は、掲示する歌詞リンクと一緒にご覧ください。


水瀬いのり「glow」

歌詞の展開について、序盤・中盤・終盤という形で切り分けて、その展開を追ってみようと思います(切り分け方の考え方は、メロディよりもストーリー性を重視していきます)。


序盤|よくあることだよねって~手持ち無沙汰で

歌詞のリンクを開いて読んでいってほしいのですが、「よくあることだよねって~手持ち無沙汰で」というところまで、三節の歌詞があります。
ここはどこか、自身のこれまでの過去というか、おそらくコロナ禍における悩みとかも影響されているのか、ネガティブな印象を受けます。
何か後悔しているような、悔やむような、そんなものを感じます。
謎を持て余すという表現のあたり、非常に苦悩している様子が窺えます。


中盤|私が歩いてる毎日~どれとも違う

中盤に差し掛かって。表題の通りですが、ここも三節くらいでしょうか。メロディー的にも、ストーリー的にも中盤と言えそうです。
注目すべきは「私が歩いてる毎日 そんな道のその上に忘れ物や贈り物(①) まだ見ぬ出来事があって笑って無くして悩んで夢見て(②) それでも数えきれない朝に出逢う」

という一節があります。これが、まず最初に出てきた、この「glow」のテーマ性の一つと感じられます。
要は、いろんな選択肢が、世の中にはさまざまある。それが道の上にたくさん広がっているよ、という意味合いであると、歌詞の太字①の意味はそのようなところかと思われます。
ただ、もちろん、そんなさまざまな選択肢をすべて拾いきれるとも思えません。おそらく、太字②の、「笑ったり泣いたり悩んで、また夢を見たりする」という行為そのものが、そういった様々な選択肢への「取捨選択」の行動を表現しているのではないかと思います。
笑って選ぶこともあれば、無くすこともある。そして悩み、選びきれないことも、欲することもある、ということでしょうか。

そしてそういった選択肢たちは、月明かりの輝きの温かさだとか、どれも似ているようで違うといった形で、表現されていきます。


終盤|心に溢れてる想いを~未来に筋書きなんて何もいらない

終盤においても、重要なことが表現されているように見えます。
まずは、そういった選択肢たちに対して、一つ一つ丁寧に受け止めて、取捨者選択の時間をとっていくのが、最初の一節になるかと思います。
また二節目でも、中盤と同じくして、道の上に残された忘れ物・贈り物という選択肢たちが。

そして重要なことを言っているように見えるのが三節目。
そういった選択肢たちを、探していこうと決意している様子が見えます。
揺れる光あつめて(①) 探して迷って信じて求めて 未来に筋書きなんていらない(②)

太字①では、そういった選択肢たちを今後も追い求めるように、その選択肢たちをもっと集めていく、視野を広げていくという決意も見られます。
また太字②でも、決められたやり方というか、自分の方針というか、レールの上に沿って走っていくのはやめようというか、自身のやり方を広げていこうという決意が見られます。
まさに、自身の道を、自分の選択で追い求めていくという感じです。
…ふと、「憧れ」ってワードはあまりないんだな、と感じました。


以上、これが水瀬いのりさんの「glow」を検証したものになります。



渕上舞「星空」



こちらも同様に、歌詞を序盤・中盤・終盤と切り分けて考えていきます。
また、「glow」との共通点と違いも一緒に洗い出せていけたらと考えています。

序盤|Shooting Star~変わらないね

序盤の切り分け方に悩みました。メロディ的には三節目までなのですが、事情により、二節目までとします。
まず序盤は、いのりちゃんと同様ととらえるべきでしょうか。
こちらも結構ネガティブです。
苦心して悩んでいる様子が窺えて、それを「誰に聞いたらいいの?」と表現しています。
そんな中で、自分を「弱虫」だと。
何かをあきらめてしまったような感覚が見受けられ、そこから三節目にいたって、「かけがえのない宝物」をなくしてしまっても忘れない、と表現しています。
そういった、後悔とも決意とも受け取れる様子が描かれますが、これも、思想的にはコロナ禍の影響を受けたというべきか。ご本人の性格もありそうですけど、「やりたかったもの」などへの夢、憧れみたいなものも見えてきそうです。

「glow」序盤の歌詞にある「手持ち無沙汰」と、この「星空」の歌詞にある「宝物をなくしてしまった」という表現って、実は対応したりする?どっちも、手に何も持っていない状態とみるべきですからね。


中盤|星空を見上げたら(3節目)~気付かないで.

中盤の最初にて、重要なことを述べています。
「星空を見上げたら手を伸ばし掴んでた隙間から零れるかけがえのない宝物」と。
これは、先にお伝えしますが、先述した「glow」考察中盤の同じく最初、道の上にある宝物(選択肢たち)と非常に密接に対応する、「取捨選択」をテーマとしてとらえたときの最大のワードであろうと考えます。
特に、「手を伸ばし掴んでた隙間から零れる」というワードはすごく気になります。
これについては後述します。

そしてここでは、そういった選択肢たちに、輝きすぎてて目をそむけたくなるけどまぶしいけど目を背けない。「君が思うよりずっと好きなのかもね」と表現していたり。
これは、もしかすると、渕上舞さんにとっては、憧れを忘れられない、「憧れ」へのそういった選択肢、「取捨選択」があるのではないかと。
また、コロナ禍でそういった思いが果たせなかった部分もあるけれど、でもやっぱり果たしたいよ、という思いがあるんじゃないかなぁと思ったりします。


終盤|星空に願うなら~叶いますように.

終盤にしては長く区切ってしまいました。四節分ございますね。

さて、ここでも大事な部分が最初からあります。中盤の解説で述べた憧れやさまざまな選択肢たちに対して、「自由な旅路を身体中で感じていたい(①)」「抱えきれなくて荷物をそっと下ろすけど忘れないよ(②)」というワードを仕掛けています。
①のこのワード、「glow」の終盤解説でも、「心に溢れている想いを一つ一つ受け止めてゆくことしか今はまだ前に進めはしないけど」という歌詞に対応するような気がしています。

②の身体中で感じるっていうのは、いわば、そういった
自由な旅路=選択肢=(「glow」でいうところの)道の上にある忘れ物・贈り物=心に溢れている想い」
という対応の仕方をするような気がしています。
そしてそれらは、この記事のタイトルにあるように
「星空から零れたかけがえのない宝物たち」「忘れ物とか落とし物とかきっとぜんぶ宝物」であろうと思われます。
とはいえ、一方で、舞さんの歌詞の中ではそれらを「抱えきれなくて荷物をそっと下ろすけど忘れないよ」と表現しています。
この「忘れないよ」とは何なのか。
これは、手前味噌になってしまいますが、
私の以前の記事、3rdライブ星空での渕上舞さんのMCの話を掲載していますのでお読みください。
こっちはそんなに長くないので…

「忘れないよ」という歌詞は、捨てていったものを、永遠にさようなら~~ではなく「捨てていったこと自体も忘れずにいたら人生豊かに生きていける」という意味を込めているとのことです。

間違いなく、これも「取捨選択」の対応になろうかと思います。

コロナ禍でやりきれなかったことへの迷い、悲しみ、とかそういった感情に対して、そっと荷物を下ろす。
一段降りる、ということでもあろうかと思います。
そこに対して、でも「忘れないよ」と言っております。
これは、割と渕上舞さんだけの話ではなく、むしろ、「glow」のいのりちゃんも、どこか思っているところはありそうだなぁと感じています。
ただ、現状「glow」の中に対応するであろう的確な文言を、今回は掲示できそうにありません。ただ、ご本人の歌詞やインタビューではありませんが、ファンの方の「glow」の考察において、結び付けられそうなところがありました。これは後述いたします。

さて歌詞に戻って、三節目になりますが、「巡り巡っていく季節を感じたら」「当たり前のように夜明けを待つ」というワード。
これはそれこそ「glow」の中にもある「花の季節は雨の色になり」とか、「それでも数えきれない朝に出逢う」っていうワードに対応しそうです。
特に、当たり前のように夜明け、朝を迎えていくっていうのは、つまり数えきれないほど朝を迎えているっていう意味ですからね。


そして歌詞の最後にあたりますが、かけがえのない宝物を述べた後にこう述べています。

許されるのならもう少しだけ見てみたいよ夢の続き

これすごくエモいなと思ったり。
荷物を下ろすけど忘れないよ、許されるのならばもう少しだけ、夢を追いかけたい。憧れを追いかけたい、そういう意味に当たるのではないかなーと思ったり。
これも、同様になりますがいのりちゃんの「glow」の終盤の歌詞に対応する。宝物たち(贈り物忘れ物、輝き)を、舞さんも同様に追いかけたい。
夢を見てみたいと表現しています。ただ、多分荷物に固執することはない。多分固執し始めると荷物にもなったりする。だからもっと、可能性の一つたちとして取捨選択し、自由に生きる。可能性はもっと追い求めたい。
そういう「希望」で締めくくっているということでしょうか。

大筋として、「glow」も「星空」も

1.自分のこれまでの経験(コロナ禍含め)への悲観

2.見えてくるさまざまな選択肢を視野に入れる

3.その選択肢たちへのスタンスを定める
→→宝物たちを今後も追い求めるという希望

という構成で出来上がっているように見えます。


補論|ファンの方の「glow」考察記事から

kura様のnote、アルバム『glow』についての考察記事です。
「glow」に至るまでの数年間のいのりちゃんの活動を概観し、またその中でファンが求める「いのりちゃん」像を確認しています。
kura様の記事の見出しとしては「4.ありのままの、ふつうの私」、「5.可能性ある、自由な未来」が、本稿にも関係する内容になっております。
これまでのいのりちゃんに求められる偶像が、力強く・みんなを導く存在でした。
ですが、それに対し、kura様はいのりちゃんのラジオなどの発言から、そういったみんなの「願い」「期待」について

大きなステージを経験し、たくさんの人の「期待」に応えようとし過ぎた結果、それが「壁」や「重荷」に感じるようになってしまっていた、言い換えれば、”力強く引っ張っていくカッコいいリーダー”という、アーティスティックな一面”だけ”を切り出した『ありのままでない、自分らしくない私』を自ら作り上げてしまい、それを続けてしまっていた、いうことなのかなと思いました。

とされています。私はこれに同意見、というよりは、ずっとこの方の記事の通りのイメージを抱いておりました。そう、重荷です。
そして重荷といえば、渕上舞さんの「星空」の歌詞に出てきます。

抱えきれなくて荷物をそっと下ろすけど忘れないよ

この言葉が実はいのりちゃんに向けられたものでした!とかいうことはありませんが、でも、どことなく、いろんな人に向けて発信した結果、いのりちゃんにも突き刺さっていたというオチのように感じます。
でも、そういったファンが強い、リーダー的な水瀬いのり像を追い求めていたということ自体は、いのりちゃん自身も悪いと思ってはいなくて、そういった願いがあったことを、「星空」で言うところの「抱えるかどうかは別として、忘れないよ」と、そのように「glow」の中で思っていた可能性もあります。

また、kura様は「未来に筋書きなんていらない」というワードについて、本稿同様の見解を示されております。(というか私がたぶん、同じような考え方になってしまった)
皆の期待するその思いを載せて向かっていくレールから外れた。
それが、荷物をそっと下ろすこと、だったりするのかなぁって。

これは、なりたい自分を見つけられない一方で、”力強く引っ張っていくカッコいいリーダー”という周囲から提示された/期待された、こうあるべきという道のり、この先に敷かれたレールのようなものが見えてしまった、そして、その上を進まなければ、という感覚を抱く自分に対して、glow(曲)により、そのレールから外れる、自由であることの赦しを与えられたような感覚があったからではないか、と考えています。


インタビュー記事を再確認~二人のスタンスの共通点~

最後に蛇足チックではありますが、お二人のインタビューを再掲します。


――今回、3年ぶりのアルバムになりますが、その間、世の中の情勢的にも大きな変化がありました。

水瀬いのり それまでは1年ごとにアルバムをリリースして、それに伴うツアーも開催していたので、ずっと駆け抜けているような感覚があったんですけど、この3年の間、コロナ禍でライブが中止になることもあったので、改めて自分のアーティスト活動を振り返ってみたり、表舞台に立っているときの私とは違う、「本当の自分」を見つめ直す時間が多くて。そこで自分が本当に好きな音楽、本当に伝えたいものを改めて精査できたし、私は性格上、しっかり立ち止まることも大切にしたいタイプなので、個人的には止まっていた時間も無駄ではなかったと思っています。

(中略)

――優しく寄り添うような気持ちが、歌詞だけでなく歌声からも感じられて。「大切なものはそばにある」という想いは、水瀬さん自身も日常の中でよく感じることなのでしょうか?

水瀬 そうですね。何気なく「行ってきます」と家を出て「ただいま」と帰ってこれること自体に奇跡を感じる瞬間もありますし、家族がいる環境というのは、毎日当たり前だと思って過ごしているけど、すごくかけがえのないコミュニケーションだと思うんです。この曲の歌詞に“いつか忘れていくことばかり”とありますけど、きっと大人になるにつれて忘れていったとしても、そういうコミュニケーションがあったからこそ今の自分になれていると思っていて。だから家族には、どんなときでも「ありがとう」と「ごめんね」を伝えられるような人でありたいし、側にあるものを大切にするこの曲はすごく胸に響きます。

水瀬いのりさんの「glow」インタビュー記事から


――三部作であれば、1作目を観ないわけにはいかないですね。3年間の旅路、一連の流れが感じられます。3周年を迎えた今、アーティストとして目指す形はありますか? 
がんばりすぎず、自分のペースで歌っていきたい、紡いでいきたいという気持ちがあります。「がんばれ」は言うのも言われるのもあまり好きではありません。「この先の未来に希望があるよ、だからがんばろうよ」というのではなく、がんばれない人に寄り添えるような存在でありたいと思っています。刹那的ではあるけれど、明日死ぬかもしれないから、今日を楽しく生きようよ、という気持ちでいます。もちろん、背中を押してほしいという人もいると思うので、そこは他の誰かにまかせて(笑)。私自身は、前に向かって進んで行くというよりも、「停滞してもいいじゃない、そこが楽しいなら」という考えなので、楽しくない、つらいと思うなら、やめてもいいとも思っています。「いいじゃん、やめちゃえば」といい意味で軽く言える存在でありたいですね。

渕上舞さん「星空」インタビュー記事から


このあたりのインタビュー記事を読んでいくと、どうりでこの曲たちを紡ぎあげたのであろう理由が見えてくる気がしています。
どちらも性格的に似る部分も見えていて、特に「寄り添いたい」「停滞してもいいよ」というワードが見えるように見えます。
もちろんいのりちゃんは「家族への寄り添い」という観点から寄り添いたいといっていて、舞さんの場合はどことなく「友達」的な観点なのが大きな違いに見えます。こういった、二人の共通する「感性」「人生観」もしくは「性格」に起因するものが、コロナ禍で同じように声優アーティストとして諦める、やれなかったものも多かったという経験を経て、この曲たちを紡ぎあげる、言葉をチョイスする、抽出するに至ったのではないかと思います(もちろんglowはご本人作詞ではありませんが、十分に本人の気持ちを見抜いて作り出したと見えます。)

また舞さんのインタビュー記事にある

「この先の未来に希望があるよ、だからがんばろうよ」というのではなく、がんばれない人に寄り添えるような存在でありたいと思っています。

という言葉も、

――歌詞の締め括りは“未来に筋書きなんて何もいらない”ですからね。
水瀬 座右の銘にしようかと思うくらい素敵な言葉で。これをスローガンに掲げて生きていきたいくらいです(笑)。

という、いのりちゃんの「glow」のインタビュー記事にあるこの文面にもかかわっていきそう。
この先の未来に希望があるから頑張ろう!という「筋書き」を与えられるくらいなら、「何もいらない」って考えるのは確かにその通りだなと感じます。
頑張れば成功する!という、当たり前のように語られるこの観念も、別に正しいわけでもなく、現代社会に蔓延る、レールの敷かれた、筋書きともいうべき人生観のような気がします。


なお、ここまでまるで「星空」が「glow」に影響を受けたような論調で本稿を書いておりますが、ではお二人の関係ってどうなの?という点について。
非常に公の場で密接に接しているというわけではないように見えますが、実は意外とそれぞれのラジオなどでお互いを話題にしている様子はあったりします。
そこについては、

をご覧ください。
特に、拙稿のこの記事で引用したい場面はここ。

なぜそこまで言えるかというと、もう今は放送されなくなってしまったが、超A&G放送のご自身のラジオ『渕上舞のとりあえずまぁ、話だけでも』の公開録音イベントにおいて、「一つの教室の席順をどうするか渕上舞さんが決める」というコーナーがあった。

縦3列、横3列、3×3の席順なのであるが、舞さんは窓側中央をまず選んだ。前にあんまり出たくないから、と言っていたはず。

その次にくじで、誰が出てくるかを引く。このくじには実在の人物や架空の人物が存在する。

そこでまっさきに引いたのが…

「水瀬いのり!いのりちゃん!いのりちゃんだって!」という舞さん。

会場、いのりちゃんファンが結構多いので大爆笑だったのである。

それはさておき、舞さんがいのりちゃんをどこに置いたかというと、自分のすぐ後ろに置いたのである。

「いのりちゃんな~、いのりちゃんも前行きたくないって言いそうだからなぁ…」と言って、自分の後ろに置く。

個人的にはここがポイントで、おそらく別の人物が出てきていたら、舞さんは後ろに下がっていたのではないかと思う。

しかし、それでありながらいのりちゃんを後ろに置かせたあたり、「自分が守る!」という意志をそこはかなとなく感じてしまった。

それは多分ただのこじらせオタクだと思うけれど。

なんだろう、舞さんがこんな印象を持っているいのりさん、いやいのりちゃんと呼ぶべきか。kura様が記事でご執筆されているように、ファンの方々が力強く・みんなを導く存在というものをいのりちゃんに追い求めた際、もしその場に舞さんがいた場合、「そういうのはやめてあげよう!」と庇っていた可能性もあるのではないかと思ってしまいます。


舞さんからすれば
「いのりちゃんは前に出てリーダーしていくような存在ではない。それは彼女を苦しめる」
と、なんとなく、どこか主張したいように思っていたりするのかな、などと思ってしまう。そういった思いがあったりして、席順を決めるこんなコーナーで「いのりちゃんも後ろに行きたいだろうな」という発言をされるのではなかろうか。




そんな話を差し込んで、まとめに入ろうと思います。

ぶしつけながら、どこか影響を受けあったような、でも直接的に影響を受けあったわけでもないような。でも、楽屋現場で会うことがあったら、実はいろいろお話をしているんだろうなと、思ってしまいます。
ナナシスのライブ中も、ブルーレイに収録されるカメラとかに映らない範囲で、ステージ上で結構談笑みたいなことをしている二人が見られたりします(これは多分、ブルーレイなどでは確認できない、会場にいないとわからない)。
そんなこのお二人。
でも、多分無意識なんじゃないかと思います。
「glow」にしても、作詞された岩里さんとのお話をインタビュー記事で読み解くと、むしろいのりちゃんの無意識を可視化、まさに歌詞化している印象です。
舞さんは自身で作詞されてるので意図的ですが、いのりちゃんはそう思うと、無意識に思ってることが多いのかもしれませんね。

家族を大事にするいのりちゃん、(友達いないんだよねと言いつつ実は)友達を大事にするような舞さん。
どことなく、この2曲を考えて、そのように思った次第です。

輝きに包まれる彼女らは、同じ方向を向いて、希望を追い求めていく…

そんな言葉を残して、記事を締めくくりたいと思います。








ちょっとだけ追記だよ

また別の話になりますが、渕上舞さんも「星空」の歌詞の中で、「憧れ」に対する思いがどこか諦めきれない節もあります。
重い荷物を抱えきれないからそっと下ろすと言いつつも、前半の歌詞では「君が思うよりずっと私好きなのかもね」なんて思わせぶりな歌詞がある。
いのりちゃんにとってもそうですが、憧れというのは渕上舞さんにとっては、皆さんよく知る水樹奈々さん。

―――それこそ、「Lantis EXPO!」などでも「水樹奈々さんに憧れて」といったことをおっしゃっていましたが、先輩アーティストの存在が道標になることは……?
渕上 「奈々ちゃんみたいになりたい!」と思ってこの業界を目指したことに嘘はないんですけど……仕事をしていくうちに「私は奈々ちゃんじゃないから、奈々ちゃんにはなれない」と気づいてしまったんです(笑)。奈々さんは太陽のような眩しさ、パワフルさがあって、私みたいにネガティブな言葉は言わないだろうなって。でも……道標は欲しいけどいらないのかもしれません。線路を敷いてほしいってさっき言いましたけど、実際に線路を敷かれたら「こんなところ歩いてられっか!」って蹴り飛ばしそうな気もします(笑)。

『人芝居』発売時における渕上舞さんへのインタビュー:「タイトル詐欺?「ショートケーキの苺は、あなたにあげる。」」

奈々ちゃんみたいな太陽のような眩しさ、それは舞さん本人には似合わない存在だと。「道標は欲しいけどいらないのかもしれない。線路(レール)を敷いてほしいって…」というくだり。奈々さんみたいになることをやめて、自分の道をいくという考えが見える…と思うけれど、でもどこか憧れもまだ残っているんじゃないかなって。
それくらい、舞さんの歌詞には「憧れ」というワードが見えるように見えます。
実は、舞さんの1stアルバムの楽曲「Fly High Myway!」の歌詞を読み解くと、そのあたりが絶妙にいろいろ感じます。本筋と離れるのでこれまでにしておきますが、これはまた後日に。

というか、もしかすると、さすがにないかもしれないが、このインタビューで話題にしている「ショートケーキの苺は、あなたにあげる」という舞さんの楽曲。実は「glow」っぽい部分も隠されているのかもしれない。なぜかというと、実は舞さんがここまで「命」というものをテーマにしたのが、実は珍しく感じるからである。「命」みたいなものを丁寧に扱おうとしているのは、いのりちゃんの楽曲からはすごく結構感じる(たぶん「ココロソマリ」とかそれではないだろうか)。まぁ、この辺はおいおい、またいろいろ考えていこうと思います。
実は影響しあってたらいいな、という夢を抱いて。


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