§3 JAZZDANCE


20世紀初頭にジャズの音楽が発生し、それと同じ時期にアメリカでジャズダンスが誕生し ました。
1930年代には、ジャズダンスの大きな要素「タップダンス」が大流行。 そして、「タップダンス」のトップダンサーにより、世界中の華々しい、舞台、映画、 ミュージカルに登場し、世界中に広まっていきました。
現在ジャズダンスとはジャズで踊るダンスではありませんと説明しましたが、実は誕生当 時は、ジャズダンスはジャズミュージックに合わせて踊られていました。
当時ジャズダンスはそれまでのクラシックなスタイルを破壊するような、先進的なダンス でしたが、ジャズダンスというスタイルがダンスシーンの中でスタンダード化してしまっ たことや、ジャズという音楽が、強烈な方向へ進化し細分化されたことなどから、いつの ときからか「ジャズで踊る」という概念がなくなってしまいました。 ジャズの音楽の定義も広くなり、ジャズダンスのほうも、ミュージカル風、ヒップホップ 系、ブレイクダンス系、ストリート系、フファンキージャズ、ジャズバレエ等、さまざま なものがジャズダンスと呼ばれるようになりました。
そのため今は、ジャズダンスはどんなジャンルの音楽でも踊れるというのが主流になって います。
ダンスの法技と歴史 -


【ダンスの法技と歴史】
古代ギリシアでは、教育のためにダンスが踊られました。 あのプラトンやアリストテレスも、舞踊家になるためではなく、身体的にも健康で、 精神的(知的&情的)にも健康な人間を作るための教育の方法としてダンスを踊っていまし た。
現代のダンスの教育は、「○○踊りを学ぶ」という振りではなく、 クリエイティブなプロセスを体験させるという方法の教育が主流です。


Jazz Dance って?
Jazz Danceの始まりは、黒人の奴隷制度の苦しみや、社会における差別を超えて、生きる 力や希望、魂をリズムで感じるためでした。 黒人たちが白人のタップダンスのようにリ ズムを脚の動きで表現し、自分達の生命の踊りをはじめ、ジャズの音楽と共に踊られました。その活動が広まり、Jazz Dance のパイオニアの、キャサリン・ダンハムが白人達に Jazz Danceを紹介しました。キャサリン・ダンハムは黒人で初めてバレエカンパニーを創 り、黒人で初めてブロードウェイの舞台に立ちました。
その後、白人たちがWhite Jazz、Show Jazzとしてビジネスを成功させました。

有名な作 品に70年代にアメリカでヒットした「コーラスライン」、80年代にイギリスでヒットした 「キャッツ」などがあります。 Modern Jazz Danceは、このJazz Danceがバレエやコン テンポラリー、ヒップホップなどの他の種類のダンスに影響を受けたものです。音楽の使 い方などはバレエのテクニックが取り入れられています。Jazz Danceのカリキュラムには バレエとモダンのトレーニングが入れられています。 さらに、プロのダンサーの仕事、 ミュージカルなら声楽、バックダンスならコマーシャルジャズやストリートダンスを付け 加えトレーニングしていきます。

アフリカン・アメリカンが起源
1800年代に、当時のアフリカン・アメリカンの人が、奴隷船に乗せられて、アメ リカに、連れてこられました。 そこで、彼らは、彼らの感情や身体表現をするようになりました。 アイソレーションの動きだったり、ダンスのムーヴメントだったり、ダンスは、彼ら の文化を示すものでした。
ジャズダンスの原型はニューオーリンズから
その後、ニューオーリンズ(New Orleans)で、偉大なジャズミュージック文化が花開 き、現代に通じるジャズダンスの原型が、作られていきました。
ミュージカル・シアターで人気に火が付く
そして、1930年代と1960年代に、ミュージカル・シアターで上演されると、 一気に人気に火がついて、ジャズ(jazz)ダンスが世界中で有名になっていきました。
そして、偉大なコレオグラファーである、Balanchine,Jack Cole,Jerome Robbins and Fosseなど、彼らが、ミュージックシアターでジャズミュージックを使い、彼らのコレ オグラフィーアートとして、ジャズダンスが使われるようになりました。 彼らは、アイソレーションやコントラクションをダンスのスタイルとして使うように なり、それが国民の目にさらされるようになり、ジャズダンスが急激に人気になって いきました。

ジャズダンスが、進化していくと、音楽がどんどん時代とともに強化されていって、 ジャズも時代とともに変化していって、コレオグラファーたちも、ジャズミュージッ クを違った方法で表現するようになりました。


ジャズダンスの動きの進化
同時にジャズダンスの動きも、別の方向に進化していきました。 hiphopの動きを取り入れてみたり、いろんなダンスのムーヴメント(動き)が取り入 れられるようになりました。 ですが、その全ては、アメリカのジャズダンス文化から派生していったものです。 ジャズダンスを有名にしてくださった、時代の寵児とも言える、ポピュラーアイコンに なった人たちがいます。
キング・オブ・ポップ(King OF Pop)と言われる、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)は、ジャズの動きを進化させてくれました。


有名なコレオグラファー
アイソレーションを作り出した、女性のコレオグラファーであるKatherine Dunhamも 有名です。
Jerome Robbinsも、素晴らしいジャズダンスのコレオグラファーとして、知っておく べきでしょう。
Jerome Robbinsは、もっとも有名でセクシーなジャズである、ジプシー(Gipsy)や、ウ エストサイド物語(West Side Story)のコレオグラフィーを作った人物です。


次は、ジャズ・ファンクダンス(Jazz Funk Dance)について、お伝えしていきます。 ジャズ・ファンクダンスとは、何だと思いますか?
ジャズダンスの進化
ジャズとダンスは、進化しています。
コレオグラファーも同様に進化してます。 ストリートダンスの人たちは、いろんなダンスのムーヴメントを融合させ、変化させ て踊っています。
キング・オブ・ボップ(King Of Bop)
ジャズ・ファンクを一躍有名にした立役者は、Frank Hatchetです。 彼は、キング・オブ・ボップ(King Of Bop)と呼ばれています。
答え:ジャズ・ファンクは、ヒップホップダンスとジャズダンスが一つに融合されて出
来たものです。

彼は、ファンクやアフリカン・アメリカンヒップホップなどいろんなストリートスタ イルを、伝統的なジャズダンスのムーヴメントと一つに融合させ、彼独自のものを作 り出していきました。
とても、かっこよく、革新的なものです。 その当時の多くの人達が、彼に影響されてジャズファンクのムーヴメントにノッてダ ンスを楽しんでいました。 ジャズ・ファンクは、ジャズテクニックの偉大なる融合によって生まれたものです。 ファンクやソウル、そして彼自信の持っているスタイルなど、すべてを融合させて、 音楽に乗せて表現しているものです。


リリカル・ジャズダンス
リリカル・ジャズダンスは、音楽に対する個人的な表現を表したものです。 ダンステクニックや伝統的なジャズの動きを合体させたものです。 ですが、より情感的(expressive)で直感的(intuitive)なものが、リリカル・ジャズダンス です。 しばしば、あなたはドラマティックなパターンのものや、個人的に魂が揺さぶられる ような動きを作り出すと思います。
Liz Piccoliさんによると、ミア・マイケル(MIA Michaele)や、Travis Wallなど、素晴ら しいリリカル・ジャズダンスのコレオグラファーは、アーティストの歌詞をダンスに 表現しているそうです。 ダンサーのムーヴメントを通して、大げさに感情を表現してみせることができます。 それは、とても興味深い歌詞の描写です。 観客に対して、感情的な部分で強く迫っていきます。 ともすれば、感情的に観客と一体になっていくようなダンスです。 アーティストの声をダンスで代弁する
Liz Piccoliさんによると、リリカルジャズダンスのもっと違った点での素晴らしさは、 息づかいや流れるような動き、ダンサーが音楽と一体になるような感情的なダンスだ ということだそうです。 彼らは、歌を歌っているアーティストの声を代弁しているようなものです。 このことは、リリカル・ジャズダンスを創作していく上で、ものすごく重要なことで す。
また、技術的な解釈も、競争力のある分野では、重要になってきます。 もっともリリカルなジャズダンサーは、高いレベルの技術的なエキスパート(達人) です
Liz Piccoliさんが7歳の頃に、ニューヨーク市にいて、偉大なジャズダンスの先生のダ ンスクラスでレッスンを受けていたときの話を見ていきます。
彼の名前は、Luigi ルイジと言います。

Luigiは、その当時カーネギーホールにスタジオを持っていました。 そこで、彼の歴史に触れ、Liz Piccoliさんはとても感化(インスパイア)されました。 インスパイアというのは、今のLiz Piccoliさんがダンサーとしてやっていこうとした きっかけになったという意味です。 Luigiは、ブロードウェイでの広大なキャリアを持っていました。 ですが、彼が、20代のときに、車での事故で、ダンスが踊れなくなってしまいまし た。
医者は、こういったそうです。
もう再び歩くことはできなくなるかもしれない。 もちろん、ダンスは踊れないでしょう。
彼は、精神的に深いショックを受けました。 そこで彼がとった行動は、リハビリとして、ダンスのムーヴメントを取り入れるとい うことでした。
彼は、現在90歳代のおじいちゃんになっていますが、今でもStudio Maestro on 68th streetと呼ばれる、ニューヨークシティーのスタジオで、ダンスを教えています。 Luigiのダンスの動きは、素晴らしく、体重移動がずば抜けて優れていて、Luigiの音楽 性は完璧なものです。 Luigiの存在を、すべてのジャズダンサーやジャズダンスの生徒が知るべきものだと思 います。
彼は、ジャズダンスの父と呼ぶべき存在だと思います。
Nat Horne、Lou Conte、Jose Meier
Nat Horneもジャズダンスの達人として、知っておくべきかと思います。
彼のスタイルは、素晴らしいものです。
Lou Conteや、Jose Meierも常人離れした、素晴らしいジャズダンスの達人です。


1900年代前半(第二次世界大戦前)に日本人の伊藤道郎(イトウミチオ)氏によって、 ニューヨークで生まれたダンスといわれています。
文字通り当初はジャズミュージックに合わせて踊るバレエを基本にした先進的な踊りでした。
今となってはどんな音楽でもジャズダンスを踊る事が普通となっていて、 テレビのバックダンサーやPVなどではジャズダンスがベースのものがとても多いです。
ルイジはイトウミチオ氏に師事し、
イトウミチオ氏から学んだバレエのエクササイズを、
事故後半身不随となり、寝ていたベッドの中で続け、
退院後、ハリウッド全盛期を支えたMGMで職を得ます

ここで戦後最大と言われるミュージカルスター ジーン・ケリーに 指導を受け、 これがルイジメソッドに大きな影響を与えたとルイジは言っています。 ルイジと命名したのも、ジーンケリーだったそうです。
はい、というわけで
ルイジの先生であったイトウミチオ氏とは?
伊藤道郎さんと書きます。
日本人です。 第一次大戦から太平洋戦争にかけて欧米でご活躍された天才舞踊家 イトウミチオ氏は、なんと、モダンダンスの創始者でもあるのです。
声楽のために留学したのに、向こうで欧米人との声量の違いを認識し、 なぜかダンスに転向。 ジャックダルクローズ音楽院でリュトミック型(リトミックともいう)を学びます。 全身を使って音楽を表現する・・・いわゆる即興舞踊ですかね ちなみにリュトミックについては、面白いことに、 音楽のリズムに身体を従属させることへの批判もあったようですよ。補足。
初めに音ありきでダンサーを格下扱いするミュージシャンもいますから、
これわかる気します。。。^^;
話がそれましたが、 唯一の東洋人であった伊藤氏は、欧米人に比べカラダが貧弱というハンディを乗り越え、 負けるものかと学んだそうです。
ドイツでの戦火を逃れロンドンに渡り、ここでさまざまな芸術家と交流。 そしてとあるパーティーでショパンのワルツで即興を踊り、大絶賛となり ヨーロッパで確固たる地位を得た後、今度はアメリカからオファー。 今度はアメリカダンス界で名をはせます。

が、スパイ容疑をかけられたり(戦時中だったので) 家族とうまくいかない感じあったり 波乱万丈の人生だったようです。
https://www.youtube.com/watch?v=PXw8HJwzVxE

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