見出し画像

誤りの発見という、創造の瞬間。

先日のライブ配信で、ミスをしました。お客様には報告書を提出し、防止策を講じました。本質的な原因を注意深く検証することで、誤りの発見という創造の瞬間を迎えた話です。

ライブ配信でパートナーを組んでいる @tkykmts さんのYouTubeチャンネル「松井のライブ配信ノウハウch」で、詳細が語られています。

パートナーシップ

このミスの物理的・人的な原因は、自分にありました。が、彼は「自分ごと」として、美しい映像と音声とともに素晴らしい「作品」を制作しました。ミスを「私の」主語で「大失敗」とまで表現して。パートナーシップの理想形を、ここに見ました。そして彼の、仕事への尊厳と、本質を追求するプロフェッショナルとしての「志」に圧倒されました。その高い精神性を前に、ある「発見」をしました。

自分ごと

それは、相手を通じて自分には足りていなかった要素の発見をすることでもありました。

・高い意識
・本質の見極め
・連続的な努力

これらは、パートナーを通じ「感じとって」いてはいたものの、振り返って考えてみれば完全な「自分ごと」にまではなっていませんでした。ここに「誤り」がありました。そして、一番大切な、大きな発見がありました。

誤りの発見

それは誤り自体を「発見」することです。つまり、誤りを認める。年齢を重ねるうちに、人はどんどん「他人(ひと)の話を聞かなくなる」。そして自分(の過去、といったほうが正確かもしれません)を「捨てなくなる」。この誤りを大切な「宝」として「発見」できるかどうか、に尽きると思いました。そしてその「発見」の瞬間は、

創造の瞬間

でもあることを「発見」しました。もしかしたら、人の生きていくうえで一番価値のある「秘宝」は、この誤りの発見かもしれません。あえて「発見」という表現を強調したいのは、誤りを「認める」だけではそこに「創造」はないからです。なんでも「謝ればいい」で済ますことになります。でも、それがとてつも価値の高い「発見」だということに気づくこと自体が、実は大きな「創造」なのだということに気づきました。

「誤り」の意味

改めて辞書を使うと「発見」があるのではと考え、「間違い」「過ち」との使い分けについて調べてみました。多くは「正しい」か「正しくない」かの「基準」に沿った判断で使われる、という説明でした。

「誤り」を大切なものとして「発見」し、「正しくない」と位置づけることで「創造」になる。そう実感しました。

過去という分母

長く生きるほど、過去という分母が大きくなり、きょう一日の人生に占める割合いが減っていく。これは仕方ないと諦めるべき、という考え方もあります。自分は素晴らしきパートナーたちに恵まれ、「創造」的な毎日を送りたいと思います。

振動さん

ある別の人とのテキスト上の会話で「振動さん」と誤変換がありました。それは、新しく出会った人と「新しいこと」「心を揺さぶること」についてのやりとりでした。自分が過去において(文字通り)髪を振り乱して「狂って」いた時期の映像を紹介したときでした。そう、心がとても振動していた時期。人はいつでも、心の振動を保っていれば新しくなることができると思いを新たにしました。

その「誤」変換は、自分にとっては「創造の瞬間」の訪れでした。そうだ、これは「誤り」ではあるが、一方で自分が「振動」していることを表しているという「発見」なのだ!と眩しい閃光が走りました。

発見し、振動し、冒険しつづける

このミスからの「発見」と「創造」が、何よりの宝物と感じました。素晴らしい気付きと導き、新しい視座をくれる仲間たちに心から感謝!

明日もまた、髪を振り乱して生きよう。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?