『推しの三原則』のできかた(3)

前回はこちら

 自分は少年マンガが大好きであり、自分が思う最高の「少年マンガ」を生み出している作家さんとして藤田和日郎先生がいます。藤田和日郎作品は『うしおととら』『邪眼は月輪に飛ぶ』『黒博物館』と名作揃いなのですが、その中でも最も自分が好きなのが『からくりサーカス』です。

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 今回は『推しの三原則』が、この藤田和日郎先生の『からくりサーカス』をかなり参照しています。というお話です。

 まず、AIヲタクのファーストシリーズに関してですがあれは露骨に「最古の四人(レ・キャトル・ピオネール)」を思い浮かべて書きました。

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 最古の四人は、簡単にいうと人々を苦しめる病原菌を撒くラスボス、フランシーヌ人形を守るためにつくられた機械人形たちで、四天王的ポジションの強キャラです。みくりというラスボスのために全てを投げ打ち忠誠を誓う機械仕掛けの人形というキャラクターを想定した瞬間から、もう頭の中には「最古の四人」しか思い浮かばなかったので、めちゃくちゃ参照しました。
 最後のバトルで、己が存在理由を葛城に指摘され、動きを止めるファーストシリーズたちは、まんまこれですね。

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 己の忠誠心を利用され、自らの主人フランシーヌ人形に模した操り人形の「ひかえよ」の命令に従い、一切動けなくなる最古の四人たち。このあと、散々挑発を受けた最古の四人のひとりドットーレが「自分はフランシーヌと全く関係ない」と思った結果、自己崩壊するまでを含めて最高に好きなシーンです。『推しの三原則』の中でAIヲタクファーストシリーズたちは、葛城に大いに煽られながら己の行動の矛盾をつきつけられるのですが、あれは自分なりの最古の四人vsルシール戦のトレースであり、最高にイカれながら彼らを煽る葛城の顔は、完全に藤田和日郎先生がよく書く、あのわるーい顔を想定して書いています。

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 また、さいたまスーパーアリーナでの家虎の最終決戦を書いたときに自分が脳内に浮かべていた情景はこれです。

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 自分の中で、さいたまスーパーアリーナは、完全にサハラ砂漠の真夜中のサーカスであり、そののちの家虎たちの死屍累々の情景はこれ

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 です。

 このように随所随所で自分は『からくりサーカス』の名場面を思い浮かべながら『推しの三原則』を執筆していたという事実をここに告白いたします。まぁ所々の引用やからええやろ←死。とほざく自分ですが、この度、このnoteを書くために改めて『からくりサーカス』を全巻読み直した結果、とんでもないことに気がついてしまいました。

『からくりサーカス』のストーリーラインは要約すると、愛するもののために努力してみたけど自分の思い通りにならないことに絶望したラスボスが、その絶望のあまり生み出した機械人形たちと、その機械人形によって幸せを奪われ「人ならざる者」になったものたちが対立するというものです。
 これ、まんま『推しの三原則』のストーリーラインとなります。
そして『からくりサーカス』も『推しの三原則』もクライマックスシーンの構造は同じです。ラスボスがかつての自分と同じ立場の人間と対峙し、その人間から強烈な思想のカウンターパンチを当てられるというものです。

 あ、これ同じですね……

 読み比べて、「正直ここまで同じとは思わなかった」になり、
「ああ自分、『からくりサーカス』を勝手に換骨奪胎してこの小説書いとったんだなあ」と気づかされ、ひたすら藤田和日郎先生に土下座したくなりました。いや、今土下座しているのです。

 結論。『からくりサーカス』と『推しの三原則』、両方併せて読むのがオススメです!!(つづく)

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