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行方不明の幼馴染の話 第十四話

 朝になり、音も気配もなくなったのがわかった僕は、数時間だけ気を失うように眠った。
 十時過ぎに目覚め、ふらつきながらリビングに降りていく。おばあちゃんは出かけるところだった。
「翔ちゃん、ずいぶんと遅くに起きたのね、――どうしたの?」
 いつもよりも遅く起きた僕に、何げなく声を掛けてきたおばあちゃんは、振り向いて僕の顔を見ると、眉をひそめて心配そうな表情になった。

「ちょっと……夢見が悪くてうなされちゃって」
 ぼそぼそとそんな言い訳をした。でも、この調子だと昨晩の出来事はおばあちゃんは知らなかったみたいだ。
 そのことは密かにホッとしたけれど、おばあちゃんの表情は晴れない。
「昨日の昼間、長峰さんから連絡があったけれど、暑くて日にあたったんでしょ? もしかして熱中症になりかけてない?」
「うーん……。多分大丈夫と思うけど。念のため今日は家にいることにするよ」
 『白い少女』に遭遇したなんて言えるはずもなく、でも単純な熱中症とは違うと思うのだけれど、当り障りのない返答をした。外に出る気分でもなかった。
「そう……。お寺さんから、この辺りで夜に不審者がいるらしいって噂があるから気をつけるように、って。翔ちゃんも夜は外に出たらだめだよ」
 どうやら、今のところは『不審者』に注意する、という内容になっているらしい。でも、ずいぶんとぼんやりした注意だな、と思う。

 こういう時に限って、うちのお母さんはお盆の人出がない時期のヘルプで病院に行っている。お父さんも、いわゆる八月のお盆は社内の他の人が休む代わりに出社していることが多かった。うちは七月にお盆を済ませるため、ずらし要員になっているみたいだ。
 そしておばあちゃんも、今日は近所の友達と歌舞伎を見に行くって言っていた。
「おばあちゃんは、何時に帰ってくるの?」
「夜はちょっと遅くなるかもねえ」
 本日はどうやら、ランチをしてから午後、夜と歌舞伎を楽しんでくるらしい。
 そうすると、今日はほぼ一人だ。夜はお父さんが帰ってくるのかな。そんなことをぼんやりと思っていた。
「あまり体調が悪かったら、お母さんに連絡するのよ」
 心配そうなまま言い残して、おばあちゃんは出かけていった。
  
 一人になって洗面所の鏡の前に立った僕は、自分の顔色の悪さに驚いた。何というか、白っぽい土気色で、目の下に明らかな隈ができている。
 これは流石に心配になるか、と他人事のように思った。
 あまりにだるくて何も食べる気が起きない。でも、今日は美天と図書館に行く約束をしていた。
(断りの連絡をしなくちゃ……)
 取りあえず、冷蔵庫から牛乳を取り出して飲み、朝食代わりにする。
 部屋に戻ると、カーテンが掛かったままの窓辺が目に入った。無理やり視線を外す。薄暗い部屋でスマホを手に取ると、美天へメッセージを入れた。
『ごめん、体調が悪くて 今日は図書館に行けそうにない』
――すると、いくらも経たないうちに返事が返ってくる。
『どうしたの?』
『何かあった?』

 昨日から色々ありすぎて、僕はまだ長峰さんとの話も伝えていなかった。でも、何か察したのかもしれない。昨日からの一連の出来事を話すのは、美天を余計怖がらせるだけだろうか。
 一瞬、話すことに躊躇があったけれど、『白い少女』が僕と共に幼馴染である美天に、危害を加える可能性があることを思い出した。
『昨日、白い少女に会った』
 そうメッセージを入れると、すぐに電話が掛かってきた。
「翔、『白い少女』に会ったってどういうこと⁉」
 スマホから勢い込んだ美天の声が聞こえる。
――その声に、僕は言いようのない安堵を覚えて、すこし笑った。
「……何で笑ってるの?」
「いや、ごめん」
 僕は大きく息を吐くと、「ちょっと、色々あって」と、自分でも思ったより小さく弱い声が出た。
「今、家にいるの?」
「うん」
「ちょっと待ってて、五分で行くから」
 そう言って、美天は一方的に電話を切った。
 
 五分もかからず、美天は僕の家のインターフォンを鳴らした。鍵を開け、玄関に招き入れる。
 美天は開口一番、
「顔色がゾンビみたいだよ……」
 と眉をひそめた。その通りだと思って苦笑いする。
 玄関に入った美天は、家の奥に向かって声を張り上げた。
「お邪魔しまーす」
「あ、今日うち誰もいないよ」
「……何で?」
 少しひるんだ顔をした美天を不思議な気持ちで見る。
「お父さんもお母さんもお盆休み要員で仕事。おばあちゃんはお友達と夜まで歌舞伎で楽しんでくるって」
「……そう。まあ、いいんだけど」
 そう目をそらして、さっさと靴を脱いで家に上がる。そのままリビングへ歩いていく美天の後姿を見ながら、僕は目を瞬いた。

 僕も美天も、昔から何度もお互いの家に行き来しているので、『勝手知ったる』なのに……? と考えて、はた、と気が付いた。
 僕たちが中学生になって、美天が僕の家に来るのは久々なのだということに。
――僕はだいぶ頭が働いてない。
 今まで感じたことがない気恥しさが湧いて、内心冷や汗が出た。
 そんな僕をよそに、美天はキッチンへ進むと、勝手にコップを取り出して、二人分の麦茶を注いだ。それをリビングのローテーブルに置く。
「あ、ごめん。僕がやらなきゃなのに」
 慌てて謝ると、
「いいから。座って」
 と、僕を強引にソファに座らせる。自分はテーブルの角を挟んだ位置に座り、僕を促した。
「何があったの?」 

 ――僕は昨日、昼間の公園で『白い少女』に遭遇したこと、長峰さんの話、真夜中の出来事などをかいつまんで話した。
 簡単な相槌以外は、美天はほとんど口を挟まなかった。
「……この家に来るなんて」
 全部聞き終えて、青ざめた顔で呟いた。
「それに、昼間に遭遇するなんて、今まで聞いたことないよ。何でなんだろう」

 僕は話し終えて、麦茶を一口飲んだ。すっかりぬるくなっていた。
「うん……。長峰さんが言うには、お盆ってあの世とこの世が近くなる時期だから、そういうのも影響しているかもって」
「でも、『白い少女』は悠じゃないんでしょ?」
「悠じゃない。……でも、悠に見えるから怖かった。僕や美天が知っている悠とは、表情も存在感もまるで違うんだ。まるで、悠の皮を被ったみたいで嫌悪感さえあるのに、懐かしいって感じるのが悲しくて……」
 言いながら僕は頭を抱えた。
「もし、『白い少女』の中に悠の魂みたいなものが残っていたらどうしよう……。それが、僕や美天に執着していたとしたら?」
「――そんなこと、私もわからないよ」
 美天は小さい声で答えた。
「……それに、私の前にはまだ出てきてくれないし。私だって悠のことずっと心配しているのに」
 少しすねたような口調になって、美天はテーブルに肘をついて頬杖した。僕は苦笑いする。
「正直、『あの白い少女』には、美天は遭わない方がいいと思うよ」
「……そうね。不謹慎だった。ごめん」
 美天ははっとしたように謝った。僕は首を振った。美天だって、本当に悠のことを心配して悲しんでいたのを知っている。

「――そういえば、お守りをくれるって話はどうなったの? 玉泉寺から連絡が来るって言ってたよね?」
「うん。本当は、お盆の前にはって言ってたんだけど。連絡は来てないね」
「……おかしくない? 鈴木さん、そういう約束はそのままにする人じゃないよね?」
 美天も、鈴木さんの人となりは知っているから訝しげだ。
「うーん。忙しいって言ってたからそのせいかな……? あまり催促するのも気が引けて」
「私ちょっと聞いてくるよ」
その辺のコンビニに行く感じで、美天は言った。
「え、これから?」
「だって、今夜だって『白い少女』が来るかもしれないじゃない」
 僕は思わず、今夜も『白い少女』が窓を叩くイメージが湧いて青ざめた。……それは本気でやめてほしい。
「私は昼間にまだ遭遇してないし、ここからはお寺まで五分くらいだからすぐでしょ」
 美天は俄然行く気になっている。
「この暑さのなか、翔が出歩いたら余計体調おかしくなると思うよ。私が行く方がマシ。……それはそれとして」
 美天が僕の顔を見据えて言った。
「その前に、翔は何か食べないと。何も食べてないでしょ」
「……牛乳は飲んだ」
「それは食事じゃない」
 すかさず言い返されて首を竦めた。
 美天はスタスタとキッチンに行ってしまう。僕は慌てて後を追った。

 言われるがまま、食材や調味料の場所、お皿などの位置を伝えると、美天はてきぱきと動き、二人分のお茶漬けを作ってくれた。僕の分は梅干しと塩昆布、美天は鮭フレークにお茶をかけた簡単なものだったけれど、うれしかった。
「何から何まですいません」
 テーブルで頭を下げると、美天は照れくさそうに笑って、「召し上がれ」と言った。
「いただきます」
 手を合わせて二人で食べ始める。
 一人では何も食べる気が起きなかったけれど、食べ始めると胃にするすると入った。梅干しと昆布の塩気が染みる。
 小学校のころ、僕たちはお互いの家で、たまにお菓子やご飯作りの手伝いをしながら友達と遊んだ。美天の家では主にお菓子、僕の家ではお昼や夕ご飯。
 小学校高学年になり少しずつ回数が減ってきて、中学も分かれてしまったので、食卓を挟むことはとても久々だった。懐かしいような、こそばゆいような変な気分だけれど、悪くないな、とこっそり思った。
 簡単な食事はあっという間に食べ終える。

――食後の片付けをしている間(流石にそれくらいはする、と僕は譲らなかった)、美天は玉泉寺に電話を掛けていた。何度か掛けているものの、繋がらないらしい。
「変ね……ずっと通話中になってる」
 スマホを見ながら美天は呟いた。玉泉寺は忙しい時期だって言っていたけれど、電話が繋がらないほどなのは珍しい。
「やっぱり、私ちょっと聞いてくる」
 そう言って素早く支度をしてから振り返ると、僕の顔を見て微笑んだ。
「……うん、だいぶ顔色が良くなったよ。よかった」
「うん。美天のおかげだよ。ありがとう」
 自分でも、朝起きた時よりずいぶんと体が軽くなった気がする。僕は素直にそう告げると、目を瞬いた美天の頬がうっすらと赤らんだ。僕はそんな反応をされると思わなかったので、何でか急に恥ずかしくなる。――なぜか言葉が出てこなくて焦る。

「……じゃあ、行ってくるね」
 沈黙を破るように、美天は身を翻して玄関に向かった。
「あ、ちょっと待って!」
 我に返って呼び止めると、玄関近くに置いてある鍵を渡す。
「一応持ってて。僕寝ちゃってるかもしれないから。あと、何かあったら絶対電話して」
 そう伝えると、美天はいつもみたいに苦笑いして「すぐ戻ってくるから」と出ていった。
 僕は鍵を閉めてから、リビングのソファに座る。時計は十四時を少し過ぎていた。
――ふいに、部屋ががらんとした雰囲気になったことに気が付く。一人で過ごすことなんて慣れているはずなのに、どうしてだろう、と戸惑った。
(昨夜までの出来事がショックで、そんなに心細く感じていたのか……美天が来てくれて助かった)
 お腹も落ち着いて、気持ちも持ち直したせいか、急速に眠くなってきた。でも、何かあったら美天から連絡が来るかもしれない。
 そう思ってしばらく眠気と戦っていた。

――スマホが手元にあるのを視界の端で確認すると、僕はふわふわとした眠気の波に落ちていった。

<最終話へ続く>

#創作大賞2024 #ホラー小説部門


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