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行方不明の幼馴染の話 最終話

(残念だな、みそらちゃんにも来てほしかったのに)
(一緒に行けたらきっと楽しかったのに)
(でも、しょう君だけでもうれしい)
(いっしょに遊ぼうね)

 足元がふわふわとしていて、まるで柔らかいベッドの上みたいに心もとない感触のまま、手を引かれて歩いていた。誰かがうきうきとしゃべっているのが、温かい水の中で聞くみたいにぼんやりと耳に届く。
 右手は小さく柔らかい子供の手を感じる。子供の手は少し冷たかった。
(もうすぐだからね。そしたら、ずっと一緒だよ)
――僕はどこに向かって歩いているんだろう。さっきまで、美天が近くにいたと思ったんだけれど。
 そう思って周囲を見回すと、陽炎みたいな靄がかかった住宅街の道を歩いていることがわかった。
 でも、見上げる塀はずいぶんと高い。まるで僕が縮んだみたいな低い視点で、ぼんやりとした違和感を覚えたけれど(縮んだってどういうことだろう)、その違和感を掴めない。

 視線を前に戻すと、手を引く小さな後ろ姿に見覚えがあった。
「悠……?」
 振り向いた悠は、にっこりと笑う。
(もうすぐ着くよ)
「着くって、どこに……?」
(わたしが居るところ。しょう君とずっと遊びたかったんだ)
(今住んでいるのは三角のおうち)(何にもない)(いつもは出てこられないんだけど、今日は特別)(本当はみそらちゃんも呼ぶつもりだったんだけどダメだった)
 悠の言っていることの意味がよくわからなかった。何だか前後の言葉も繋がっていないような、再生装置が壊れたみたいな言葉の羅列だった。
 ふと、自分の中に、強烈な拒否感が生まれて足が止まった。悠と手が離れて数歩間隔が開く。

(どうしたの?)
 悠が振り向いて微笑みながら訊いてきた。
 目の前の小さな姿を見つめる。その姿を見ているだけで、すごく悲しい気持ちが湧いてきて戸惑う。
 すると、左手の辺りから何かが聞こえてきた。初めは微かな音だったのが、次第に電話の着信音なのだとわかる。
 僕は左手に何か平たい固い物を持っている。
(……うるさいね)
 悠が首をかしげて微笑む。

 僕は左手にある物をどうにかしたいと思うのに、頭が混乱して動かすことができなかった。
「……誰かが、僕に、電話を掛けてきてる」
(そんなことないよ。それはいらない物だよ)
 悠は、にっこり笑っているのに、次第にその目元が不穏な色を帯びてきた。鳴り続ける着信音にイライラしているのがわかる。
(その手の中の物を離して)
 悠が命令すると、僕の意思とは関係なく左手が開く。足元に固い物が落下する音が聞こえる。着信音は、水の中に入ったみたいに聞こえづらくなった。
(行こう)
 再び歩き出す悠に逆らえないまま、僕は悠の後をついて歩いて行く。

――どれくらい歩いただろう。周囲には人が全くいなかった。見覚えがあるような、どこか違うような住宅街を抜けると、唐突に周りが少し拓けた場所に出る。周囲を黒々とした木に囲まれたマンションの正面で悠は立ち止まる。
 そのマンションは外壁が黒く塗られていて、それほど大きくないのに威圧感があった。
 いつの間にか空は黄昏時の暗さになっている。このくらいの時間になると街灯が灯るはずなのに、一つもついていない。マンションの窓にも明かりは見えなかった。

(ここが私が今いる場所)
 僕は唖然と見上げる。どういう意味なのかわからなかった。
(ここで、しょう君と一緒に暮らすんだよ)
(ここには、悠のお母さんもお父さんもいる。いろいろなおじさんもおばさんも。悠のおばあちゃんもいるんだよ)
(そのほかにも、知らないお姉さん、お兄さんも来てくれたの)
(だから、しょう君も楽しいよ)
 悠は、心底嬉しそうにぴょんぴょんと周囲を飛び跳ねながら言った。

「……行かないよ」
 やっとのことで口にした。悠がぴたりと止まった。
「……ごめんね、悠。ずっと謝ろうと思ってたんだ」
 住宅街を歩いていた時は小さかった僕の背が、もうずいぶんと伸びていた。小学三年生の視点から、中学生の視点に。
「あの日。――あの日、助けてあげたかった。ううん、もっとずっと前に、助けてあげられたら、きっとあんなことは起きなかったのに」
 後ろ姿の悠に声を掛ける。悠は無言だ。
「……でも、だからこそ一緒に行ってあげることはできない。僕には僕の場所があるから。ごめん」
 それを聞いた悠は、ビクッと身じろいだ。そして、ゆっくりと振り返った悠の顔から表情はなくなっていた。

(――しょう君は、約束を破るんだね)
 そう言って、僕を見上げた。
その目の奥には黒々とした闇が見えた。まるで、棺桶の隙間から中を見たような、底の見えない井戸をのぞきこんだような気分に、背筋が粟立った。
(言ったよね。あの時、また来るって。私はずっと、ずっと待っていたのに)
 『あの祭』から逃げ出した僕の言葉を言っているのがわかった。
「……ごめん。約束を守れなくって」
 苦しくやるせない気持ちで謝る。悠は顔を歪めた。
(……しょう君が来てくれないなら)
(――無理やりにでも連れて行くから)
 悠がそう言うと、マンションの入り口から見覚えのある黒い靄が勢いよく吹き出した。
「!」

 とっさに後ずさって逃げようとしたけれど間に合わない。まるで網をかけられたように全身に黒い靄が絡み付く。黒い靄は冷凍庫の冷気のような冷たさで、うっすらと据えた土の臭いがした。
――まるで、死体が埋まっているような。
 その想像にゾッとして、僕は全身を強張らせて抵抗した。
「嫌だ、悠! 放して‼」
 必死に抵抗してもじりじりとマンションに引っ張られている。悠は踵を返してマンションの入り口へと進もうとする。
 その時、空気を震わせる大声が場を揺らした。

「はるか! やめてーー!!」
 美天が道の奥から走ってきた。薄暗い夕闇の中、何故かうっすら光って見える。
「美天! 来ちゃだめだ!」
 僕は咄嗟に警告したけれど、お構いなしで走り込んできた。
「悠! 翔を返して!」
 入口に足を掛けている悠は、振り向くと美天を見据えた。さっきまで美天にも来てほしいと言っていたのに、その視線は冷え冷えと凍っているかのようだ。
(……みそらちゃん。来ちゃったんだ)

「悠、翔を連れて行かないで。もうやめて」
 美天が息をつきながら正面に立つ。黒い靄に絡めとられたままの僕は固定されたように動けなかった。
(本当はみそらちゃんも一緒に連れて行こうと思っていたんだけど、それじゃあもうダメだね)
 悠がため息をついて美天を眺めて言った。……何のことを言っているんだろう。
「悠、ごめん。私もずっと、悠のために何かしてあげたかったけど、これだけは譲れない」
 美天はそう言うと、手を伸ばして僕の腕を掴み、自分の服のポケットに手を入れた。悠の顔色が変わる。
「――消えて!!」
 その言葉と共に、何か砂のようなものを悠と黒い靄へ勢いよく撒いた。それは僕の目に、きらきらと輝いて光を纏って見えた。

――ギィィッ!
――ギャアアァァァァーーーーーー……
 
 光に触れた悠は、凄まじい叫び声を上げ、逆再生の様に真っ暗なマンションに吸い込まれていった。長く響くその声は獣の断末魔のようで、人が出す音に聞こえなかった。思わず手で片耳を覆う。
 
――腕を掴んでいた美天は、構わずぐいっと僕を引き寄せると一目散に道を駆け抜けて行く。僕を掴んだ手の平は燃えるように熱かった。
 暗闇の中を、うっすら光を纏っているような美天の後ろ姿を見ながら走り抜ける。場違いに、きれいな光だなと思う。
 いつの間にか見覚えのある住宅街を走っていた僕たちは、玉泉寺の目の前まで来ていた。そのまま山門を駆け抜ける。
 そこでは、玉泉寺の住職や鈴木さん、見覚えのあるお坊さんたちが、石畳に即席の護摩壇を組んでいた。
 明々と炎が燃えている前で、境内に響く大音量のお経が聞こえる。
 視界が開けて炎の目の前まで来ると、息が上がった僕はそのまま倒れ込んだ。
「翔!!」
 一緒に走っていた美天は、倒れ込んだ僕に驚いて抱き起そうとした。他の人たちが駆け寄る足音が遠く聞こえる。
――僕は酸欠みたいに息が切れて目の前が真っ暗になり、そのまま意識が途切れてしまった。

ーーーーー

 遠くで、聞き覚えのないコール音が聞こえてきた。何の音かと思い目を開けると、見たことがない白い天井と、薄いグリーンのカーテンが映る。
 体が重く、動けない。
 視線を下げると、鈴木さんが座っているのが見えた。
「……目が覚めましたか。よかった」
 目覚めた僕に気が付いて、安心したように微笑んだ。
「……ここは?」
「翔斗くんのお母さんの病院です。……ついさっきまで一緒だったのですが、仕事に戻られました。呼んできましょうか」
 僕はゆっくり瞬きして、首を振った。
「……それより、何があったか教えてください。……美天は無事ですか?」

 美天は、その日こそ疲れた様子だったけれど、僕より元気で全く問題ないらしい。それにはホッとしつつ、僕ばかりが倒れているのは複雑な気持ちだ。
 鈴木さんが話してくれたことによると、僕たちはずっと妨害されてすれ違っていた。電話をしてもお互い繋がらず、作ったお守りを取りに来るよう伝言されていたのに、僕の家の電話機には残っていなかった。
「僕が忙しさにかまけて、直接翔斗くんの家に行かなかったのが悪かったのです。本当にごめんなさい」
 鈴木さんが頭を下げた。僕は目を瞬くと、首を振る。今回のことなんて誰も予想が付くものではなかった。
「いいえ、僕も忙しかったのを知っていて、躊躇ってしまったので」
「……いえ、今回だけでなく、一連のことはもっと周囲の大人がしっかりと対応しなければならなかったのです。四年前も、今回も。なのに、結果的に子供たちに犠牲と負担をかけてしまいました」

 そういえば、長峰さんも同じようなことを言っていたのを思い出した。僕も美天も、悠に何かしてあげられたら、と後悔していたが、それは子供で、できることが限られているからだと思っていた。
……でも、大人にもままならないことがある、そのことをうっすらと想像する。大人になれば、万能になれるのだと何となく思っていたが、そうでもないらしい。
「あの、ええと。……聞いてもいいですか?」
 いたたまれなくなって、少し強引に話題を変えた。

「どうぞ」
「美天が……僕を助けに来た時に、何かを撒いたんですが、それがきらきらと光って見えました。あれは何だったんでしょうか?」
 それを聞くと、鈴木さんの目元が和らいだ。
「美天さんが寺に来て、僕がお守りを渡そうとした時、翔斗くんに連絡したのですが繋がりませんでした。慌てて僕と美天さんで家に向かったのですが、翔斗くんは消えていた。『白い少女』が家にまで来たことを、僕はその時に知りました」
 鈴木さんは腕を組んで考えるようなしぐさをした。
「しばらく周囲をみんなで捜索しましたが、翔斗くんのスマートフォンが道に落ちているだけでした。……これはの怪異に連れ去られたと思い、一計を講じたのです」
 そう言うと、鈴木さんは薄い衣の内側から布の袋を取り出した。僕は何とか上半身を起こしてそれを覗き込む。白い和紙に包まれて、何かの灰と白い粒のようなものが見えた。
「……これは?」
「これは、お札を燃した灰と護摩壇の灰に塩を混ぜたものです」
 鈴木さんはにっこり笑った。

「これを美天さんの全身に掛けて、尚且つ、何かあったら相手に投げつけるように言いました。――正直に申し上げると、どう役立つかは未知数でしたが、うまくいってよかった」
 塩は古来より、魔除けやお清めに使われ、護摩木の灰もお守りとして使用するお寺があるのだとか。密教では、護摩の炎は煩悩を焼き払う。
 そのため、怪異に効くものを組み合わせてお守りにし、それを直接掛けることで隙を作れるのでは、と美天に案を授けたとのことだった。未知数の賭に勝ったのだ。
 あの連れていかれた場所は、よくわからない歪んだ狭間のような空間だったことを思い出す。だから、塩と護摩の力で守られていた美天は、光を纏っていたのか。

「……それじゃあ、悠やあの黒い力は消えたんでしょうか?」
 僕が訊くと、鈴木さんは難しい顔をした。
「――多分、まだ完全に消滅してはいないでしょう」
「そんな……。じゃあまた現れるってことですか?」
 僕は思わず泣きそうになった。あんな体験は何度もしたくない。
「いえ、暫くは動けないと思います。美天さんの話も伺いましたが、だいぶ怯ませたようなので。お寺でも何人か、所謂『視える者』でマンション付近を確認してみましたし、周囲の『白い少女』を目撃した方にも伺いました。お盆も過ぎましたし、今は小康状態と言えるでしょう」
 それを聞いて、僕は少しだけホッとした。

「……今回の件が難しいのは、のマンションは実在し、そこで暮らしている方々がいるということです。どうも、不動産会社とあの土地の所有者が絡んでいるようなので、迂闊に手出しはできませんでした。……しかし、これはまだ公になっていないのですが、あのマンションでは謎の死傷事件が起こっていまして、警察も注目しているようなのです」
 難しい顔のまま鈴木さんは続ける。
僕たち玉泉寺としては、これ以上の犠牲は出したくありませんし、地域の方々の安全や影響も気になります。そのため、応急手段として、簡易的ですが地域に結界のようなものを作ってみようと思っています。そして檀家の皆様へお守りを頒布するなど、できるだけ動いてみるつもりです」

 そうして僕を見た。
「今回の翔斗くんの件で、アレにはやはり原始的な昔ながらの魔除けが効力を発揮しそうだ、ということがわかりました。それだけでも大変ありがたい。翔斗くんと美天さんには怖い思いをさせてしまいましたが」
「……そうですか」
 これもまた、大人であっても一筋縄ではいかないということなのだろう。

「翔斗くん」
 改まった声で鈴木さんは僕に声を掛けた。
「いつか必ず、それほど時間をかけないように、悠さんとあの土地の因縁を解きます。今度こそ。――翔斗くんや子供たちが、糸口を見つけてくれたものを無駄にはしません」
 だからもう少しだけ時間がほしい、と僕に誓ってくれた。
 
――僕はずっと、消えてしまった悠に、申し訳ないような後ろめたいような気持ちを抱えていた。僕はまだ子供で、どうにもならないことが多くてもどかしいことだらけだ。
 でも、いつかきっと悠に何が起こったかわかる日が来ると信じようと思う。そして、僕にできる形で、必ず調べて残したいと思う。
 悠みたいに、家の都合で消えてしまう悲しい子供がいたという記録が、もしかして誰かを助けることにつながる、そう僕は信じたい。


――エピローグ、あるいは転章――
 
 
――夏の終わり。
 大きな台風が関東に接近して大雨を降らせた。
 台風一過のあと、風は急に涼しくなって秋の訪れを感じさせるようになり、暑さが落ち着いてホッと一息つくようになった。その頃。
 一人の女の人が僕を訪ねてきた。
 そのひとはすらりと背が高く、整った顔にショートカットをきれいな青色に染めていた。
「初めまして、多智花薫たちばな かおるっていいます。君が、佐伯翔斗くん?」
「そうですけど……」
 僕は少し(かなり)警戒しながら返事をする。彼女は安心させるように、にっこり笑ってこう言った。
「『白い少女』について聞きたいことがあって」
「!」
 驚きで顔色が変わった僕に、そのひとは大慌てで付け加えた。
「あ、驚かせてごめんね。私も事情があってあのマンションのことを調べていたの。そしたら玉泉寺の鈴木さんに、『白い少女』のことなら君が一番詳しいって聞いて」
 と、畳みかけるように話す。
 僕は目を瞬いて、慌てるそのひとを見ていた。……鈴木さんから聞いたって?
「――『白い少女』について調べた資料があるって聞いたの」
 真剣な、勁い揺るがない目をしていた。
「私に、彼女のことを教えてくれないかな」
 
――その青い髪のひとが、僕と美天と悠のことを信じてくれて、あの土地であったことを解きほぐし、最後に悠を救ってくれることになるけれど。
 それはまた、別の話。

<終>

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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