新メニューの日
夕方過ぎ。
いつも利用している定食屋の自動ドアの脇に新メニューを広告するポスターが張られていた。
期間限定ライス大盛り無料らしい。
店に入ると、券売機で早速新メニューを注文した。
券売機からはお釣りと共に「回鍋肉大キムチ」と印刷されたチケットが出てくる。「大」というのはご飯大盛りという意味で、キムチはトッピングだ。それらの意味がチケットの狭い面積の中で「回鍋肉大キムチ」と印字される。
いつもは大盛りにしないけど、回鍋肉な上にキムチがついてくるから今日はそれだけご飯が必要だと僕は踏んでいた。
僕の注文の受付番号は202番だった。番号がアナウンスされると厨房まで客が直接取りに行くシステムになっている。
ソーシャルディスタンスを守りつつ、自分の席を選んで座る。エアコンの風が直接当たるその席は本来は避けたかったが、今日はそこしか空いてなかった。
店内はピーク帯ということもあり、厨房の奥はかなり忙しそうだった。BGMはなんだか聞いた事がない洋楽がかかっている。そして、席の目の前には店頭でも見た、新メニューの広告ポスターが縁に入れられ掛けられていた。
とりあえずお腹すいた。と思っていると、一席開けた隣に親子連れが座ってきた。お父さんと小さい女の子の二人だけで、女の子は水泳の帰りと思わしき荷物を肩から下げている。
父親が娘に「今日帰りに一緒にいた女の子は誰?」と聞いている。
娘の方は「ピンクの子?黄色の子?」と聞き返す。
「え、二人も女の子いたっけ?」といいながら父親は一生懸命思いだそうとしている。
女の子は四歳か五歳くらいに見えるが、見事に大人のテンポで、父親との会話が成立していた。まだ幼いのに大したものだな、と思いながら二人の会話に耳を傾けてると、20....、とアナウンスが流れて、一瞬席を立ちそうになったが、すぐその後に、…1番のお客様、と続いて、自分の番号ではなかったと了解し、座り直すふりをしながら腰を落ち着けた(特にその様子を誰かが見ていたわけではない)。
ここで気を付けないといけないのは、今201番が呼ばれたから、この次が僕の番だと考えていると、全く見当違いの番号が呼ばれて肩透かしをくらう羽目になる。
案の定、アナウンスはその後、全く違う番号を告げた。つまり、ピークの時間帯は若い番号から順に料理を作ってるわけではなく、おそらく、忙しくて手が回らないから、オペレーション的に処理しやすい物からどんどん作るのだろうと思われる。
従業員もほぼアルバイト。大衆向けの定食屋にそこまで完璧を求めるのは酷である。多少注文が前後がしたからと言って、イライラした方が負けなのだ。
これが武士は食わねど高楊枝というやつである。まぁ、わいは派遣社員だけど。
そうこうしているうちに自分の番号が呼ばれた。
慌てて他の客とぶつかったりしないよう、急ぎすぎず、優雅な身のこなしを心がけながら厨房に行き、「全然待っていませんでしたよ」と言わんばかりの厳かな所作でチケットを差し出す。
そうすると相手の若い女子店員も、「全然焦っていませんよ」と言わんばかりに優雅にチケットを切る。
お盆を持って自分の席に戻り、いざ食べようとすると横から視線を感じた。
隣の父と娘がじっとこちらの料理を凝視しているのだ。
お腹が空いてるのは分かるが、俺の回鍋肉をそんなにじっと見つめるなよ。と内心で思いながら料理に箸をつけた。
程よく油分の抜けた豚肉に、よく炒めたキャベツとスライスされた人参、そこに甘辛な味噌を絡めている、味としてはかなり濃いめであるうえに、そこにさらにキムチを加えられる。
当然、ご飯がもりもり進む。白米が滑らかに舌の上を滑り、するすると胃の奥に吸い込まれていく。旨い。でも健康のためによく噛まなきゃ。よく噛まなきゃ。と頭では考えるが、白米はするすると喉の奥へ消えてしまう。
回鍋肉定食の良いところはうっかり肉を食べ尽くしても、味噌と肉の味の絡んだ野菜がちゃんと残っている所で、ご飯だけ大量に余っておかずに困るということがない。
黙々と食べていると、隣から「豚と牛どっちが好き?」と父親の声が聞こえた。気づいたら隣の料理もいつの間にか出来上がっていたみたいだった。娘は即座に「牛」と答えている。
ご飯が残り5分の1くらいになったところで、油揚げとワカメの浮いた味噌汁をゆっくりすすり始める。味噌汁ってどうしてこんなに安心する味がするんだろうと、いつも不思議な気分になる。
残りのおかずとご飯も全て食べ終えて、静かに席を立つと、厨房に食器を戻して、聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で、ごちそうさまです、と言う。
未だにピークの時間帯ということもあり、店員さんは誰も気づかず、皆こちらに背を向け、忙しそうに働いていた。
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