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互換性

  息子が誘拐された。男手一つで育ててきた息子が誘拐された。

 会社に出勤していよいよ昼休みか、というときに事務の女性社員が私宛ての連絡がある、と伝えてきた。私はせっかくの休憩時間が、と思ったが仕方がない。すぐに電話にでた。

 電話の向こうから微かに子どもの声がするが電話の主は沈黙している。

「もしもし」

 恐る恐るこちらが応答すると、

「お前の息子は預かった。返してほしければ○○市北の廃工場まで来い」

 相手はそれだけ言って電話を切ってしまった。身代金の要求とかもなければ、行ったからといって息子を返す、という話もない。どうしたものか。行くしかないだろう。○○市北の廃工場、タクシーで行っても昼休み明けには帰れそうにない距離だ。部長に一言行ってから向かわなければ。

「ちょっとこの書類お願いしていいかな。」

 部長がちょうどこちらに話しかけてきた。この部長はいつも大量に仕事の書類を押し付けてくるし、部下への暴言も欠かさない、所謂パワハラ上司というやつだ。俺も幾度となく怒鳴られてきたが流石に緊急事態だ、素直に行かせてくれるに違いない。

「申し訳ありませんが、私用というか、息子が誘拐されたという電話がありまして、すぐに指定された場所に行かなくてはならないんです。」

「おい、待てよ、私用だろ。今、繫忙期だぞ。どういう感覚なんだお前は」

 部長は並みのパワハラ上司ではなかった。しかしこちらも父親だ。

「お言葉ですが、息子を誘拐されたことを傍観するわけにはいきません。」

 部長のイラつきのボルテージが上がったようで、

「おい、お前の代わりなんていくらでもいるんだ、お前はただ会社から与えられた仕事を淡々とこなして初めて価値が出るんだ、わかったな」

 心にグサグサと刺さる。

 後ろで様子を見ていた、飴と鞭の飴担当の次長が話に入ってきた。

「気持ちもわかるけどね。でも、身代金の話とかないんだろ?いたずら電話じゃないかな。とりあえずまずはお子さんの学校に連絡したら?」

 私は息子の通う小学校に連絡した。息子は欠席しているということだった。私はその旨を伝えると部長も諦めたような顔をした。警察に連絡するか聞くと、それだけはやめてくれと言われた。事が大きくなって、この劣悪な労働環境がばれるのを避けたかったのかもしれない。

 私はタクシーに乗って廃工場へ向かった。タクシーの中で息子のことを思い出す。

 息子には自分とは違って強い、芯のある男に育ってほしかった。だから時には強く言いすぎたこともあったかもしれない。最近は繁忙期なのもあってそもそも息子とあまり口をきけていなかった気もする。しかし、一体全体なんで息子は誘拐されなければならなかったのか。

  タクシーを走らせると件の廃工場が見えてきた。私はさっさと支払いを済ませると、入り口へ向かった。タクシーの運転手の実力がないからか余計に時間がかかった。別の車にしとけばよかった。全体的に運気は私に向かっていないようだ。そう思った。

「誰かいらっしゃいますか」

 私は大声で尋ねてみたが、返答はない。恐る恐る中へ入る。

 ゴトッと音が鳴る。私は急いでそちらへ駆けつけたときだった。

ズドドドドドドドッッッッ!!!!

 廃工場の中にはクレーンに吊されたままの土管が放置されていたのか、それが経年劣化で切れてしまったのか、恐ろしいことに私の頭上にその土管が落ちてきたのだ。

 私は間一髪で土管を避ける。土管は脆弱になった床にめり込んでいた。避けられなかったら、確実に死んでいただろう。

 私が避けるとなぜか電動ノコギリが落ちてきた。電動ノコギリが私の右腕を切りつける。偶然とは思えない、明確な殺意を機械の裏に感じた。

 私は慎重に工場の2階部分に行った。廊下には工場長とその家族の荷物らしき物が散らばっていた。なぜ工場に子供用の玩具まであるのかは不明である。しかしこんな家族も不況には勝てずに夜逃してしまったのだろう。所詮、彼らも替えのきく社会の歯車なのだから。

 奥にモニタールームがあった。カメラの類が今も機能しているとは思えなかったが、誘拐犯が潜みそうな場所である。

 私は意を決してモニタールームの扉を開けると、

息子が手を縛られている状態で椅子に座っていた。

 私が部屋に入る時、息子の顔が明らかにひきつった。私は息子を安心させようと声をかけた。

「大丈夫だ、俺は誘拐犯じゃない、お父さんだ、安心しろ」

 息子も幾分安心したようだ。

「いや、本当に心配したぞ、さっさと逃げよう、それにしてもお前、手を縛られてるだけじゃないか、幸い近くに誘拐犯もいないようだし」

息子はうつむいていた。

「まあいい、お前は俺の替えの利かない唯一の息子なんだからな。」

息子が呟いた。

「確かにお父さんは替えが利かないね、でも上位互換なら、、」

何だって、と聞き返そうとした時、首が突然しびれ、私の意識は遠のいていった。


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