くされたるくさほたるとなる
今日も永山に、わらべうたの勉強に行ってまいりました!
♪ほたるこい ♪じんじん やりました~~。良いっ!
それで思い出したこと、頭のなかの引き出しから出てきたことを書きます。
じんじん──沖縄のホタルのうた
『♪じんじん』は私にとってもすごく馴染み深いうた。合唱団でよく歌いました! リズミカルで楽しいから団員内でも大人気だったなぁ。
沖縄旅行で、国際通りのある市内を訪れたとき、どこかのモノレールの駅で、「じんじん…」のメロディが流れていたのを覚えています。
あのモノレールの路線って、発車チャイムが駅ごとに違っていて、いろんな沖縄のわらべうたが流れてるんですよね! 今もそうかな?
「じんじんだ~」と思って、感激しました^^
みじくわてぃ
みじぬでぃ
どっちも水を飲むという意味だから、最初すこし混乱😵💫するよね。
「みじくわてぃ(水飲んで)」は、これでもくらえ!の、喰らう? 昔から「水を喰らう」と覚えて、意味をこじつけています。(本当のところどうかは分からない💦どういうニュアンスの言葉かは沖縄の人にぜひ聞いてみたい!)
腐草為蛍
腐草為蛍……七十二候のその時期が、もうすぐそこですね。
「くされたるくさ ほたるとなる」
腐れたる草、暑さに蒸されて蛍を生ず。
暦のこの言葉、大好きなんです。なんだか無性〜に。昔から好き。
よく〝草葉の陰から〟と言って、目には見えない世界のものを表現したりしますが……、
じめっとした暗いところに、この世ならざるものの吐息を感じるの、好きです。
それと蛍の〝清浄な光〟がおなじ景色に在るというのが、すごく美しいな、と直感的に思った。
〝じめじめ、ムシムシしだすころ、草の陰で何かが蠢いている気配がして身構える。けれど、ふうっと光りだしたから安心した。〟
そういう景色なのではないでしょうか。
そういう景色を見かけたときに、
「あぁ草土は腐って(分解されて)蛍となってよみがえるんだな」
と思った人がいたということですよね?
そうしてやがて格言(?)となって、暦となって、生活に根づいたわけですよね?
最初にそう思った人、すごくないですか?!?!
命の循環をふとしたときに(それも小さな生き物を見て)、深く思う、その感性……。
いや〜〜。昔の語句から考えさせられることって多々あるな、と思います。
ホタルとトンボ
(私は蛍狩りに行ったことがなく。見てきたように書くのも厚かましいのですが……。)
蛍狩りに行っても、獲って遊んだ蛍虫そのものは持って帰らず、放して帰るらしいですね?
蛍のことはいじめない。ちゃんと自由にしてやる、という、なんとなくの決まり。命の短い虫だからかもしれませんが、ただ同情だけでなく、蛍がいる環境とおなじく〝犯しがたい雰囲気〟があるのではないかと思います。
それで思い出すのは、〝トンボ〟というやはり子どもが大好きな虫のこと。蜻蛉。(漢字はカゲロウとも読みますが、カゲロウとトンボは分類的には違う生き物よね。)
わらべ歌全集の徳島・高知の巻によると、「トンボ殺すな、殺すなトンボ」などと言ったらしい。
かごいっぱいに獲ったトンボ。子どもはさんざん弄ぶけれど、殺さずに最後は必ず放してバイバイしてくる、という決まりがあった。トンボを殺すと大人に怒られたそうです。
(うちの鶏のエサにする~と持って帰った子どもと、それをちゃんと諭して止めた大人のエピソードが載っています。のびのびしてて良い。)
夕暮れ時になると、子どもの手から放されたトンボ達が、すぅ〜っと川の上を飛んでいく。これも忘れがたい故郷の情景であるとのこと。
なぜ、殺しちゃいけないのか?
その理由はつまり、トンボは〝精霊〟のようなもので、死んだ生き物の〝魂〟の姿だと信じられていたからではないか、と考察されます。
……うん! たしかに、フ~~ッと飛んでいく姿や、夕暮れ時の空気との一体感が、神秘的なものを感じさせるかもしれない?
生臭さのない生き物、って感じがするのかな、なんとはなしに。
腐ることと、命の循環
「腐る」という言葉は、ともすると不潔なイメージもあって、人間の本能的に敬遠しがちと思いますが……。
私自身は「腐る」という言葉にむしろ美しさを感じるたちです。
(腐る、発酵する、の違いはいろいろとあるようですが、ここでは落ち葉が熟すことなど含めて「腐る」ととらえます。)
わたくし、園芸バカなのですが。(唐突ですね。)
2021年から園芸に目覚め、いろいろ育ててきて、三年ほどやってみて……、
もうそろそろ「草土を循環させないで『捨てる』のを一切やめたい!」と思いまして、今年からようやくコンポストを導入しました。
耐えられないんです。刈った草、咲き終わった花を、ごっそりビニール袋につめて捨てる……という行為が😭💦
コンポストといっても本格的なものではなく、土と混ぜながらほぼ放置するだけの〝プランターコンポスト〟ですが、ネット知識を参考に、見様見真似でがんばってみています。
……土は〝フカフカ〟が良い、と聞いたことはありませんか? (園芸好きなら分かってくれると思いますが!)
土のフカフカ状態をつくりだすのは、終わった命を分解して次の生へとつなげてくれる、ダンゴムシ・ミミズなどの虫たちや、土壌のなかにいる微生物たちです。
しかし我々人間はついつい、「植物を元気に育てるためには、殺菌・殺虫してある土が良いですよね」と思いこみ(それも全てが間違いではないのですが)、キレイ~な土を求めてしまいがちです。
土とはそもそも何か?
土は、生物の糞や死骸などが分解されてできたもの(炭素・窒素のような有機物)と、堆積した鉱石など(無機物)との化合物です。
肥料を与えてさえいれば、問題なく植物は育つ、と思われがちですが、
やたら殺菌されたり化成肥料をいれられたり、人に手をかけられすぎた土壌は、自力で循環させる力を失っていく状態なので、
そのままだと〝人間が手をかけ続けなければならない〟土壌になってしまう。はっきり言って面倒くさい土地になってしまうわけです。
虫・いない
菌(微生物)・いない
そういう土がどうなるか? これ、面白いんですが、土が土の形を維持できなくなるのです。
土が崩れて砂塵のみになっていく。そこに水やりされたり雨が降ると、がっちり固まる……〝カチカチの状態〟になってしまう。
カッチカチになっちゃうと、根っこの呼吸する隙間がないわけですから、やっぱり植物がみんなどこか病みやすく、育てにくい。
カチカチの土を、人の手でもってフワフワの土に戻すのは、ふるいにかけたり資材を加えたり、これまた結構~~な手間。
そうすると? 「土は毎回捨てて、新しい土を買えばいい」とオススメしてくる園芸家さんも出てくるわけです。
(トマトみたいな連作障害のある土もそうですよね。次年度は何か違う野菜に使えばいいだけなのに、トマトしか育てたくなかったら、土は捨てちゃう、ってことをする。)
たしかに、ね。それも選択肢のひとつかもしれないけどね。
……ちょっとの虫は許容して、菌(微生物)も殺さず増やしてあげる。私はそっちがいいなぁ、と思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?