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「日本国憲法はGHQの押し付け」「押し付け憲法はデマ」の本質を考える

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現行憲法であり日本国の最高法規である日本国憲法について、

「日本国憲法はGHQの押し付け憲法である」

「押し付け憲法はデマ」

と言った意見が飛び交っていますが、これについてどう考えるのがよいか、検証します。


確かに「押し付け憲法」ではある、しかし…

結論から先に書くと、

「日本国憲法はGHQの押し付け」と言う主張は、正しいと言えば正しいし、正しくないと言えば正しくありません。

と言うのも、マッカーサーの指示で大日本帝国憲法の見直し(改正)が開始されたのは確かですが、

一方で、現行の日本国憲法の草案を作成したのは、日本の民間人です。

政府の大日本帝国憲法改正案は、「本質的に何も変わってない」として、GHQに却下されてしまいました。

だからと言ってGHQが勝手に憲法を作成するわけにもいかず(それは国際法違反になるのでできない)、敗戦後と言うタイミングで憲法改正を望んでいた民間人が作成した憲法草案の1つを採用することで、「占領下の改憲であるが、日本人自ら望んで作成した改憲案を採用するので国際法違反にあたらない」と言う「アリバイ」(厳密には外国軍占領下での憲法制定そのものが国際法違反であるが、日本人自らが改憲を望み、作成した草案を使用するとなると……)を手にした上での改憲、それが日本国憲法として採用されたわけです。


「押し付け=悪」の固定観念を取り払え

何とも絶妙な経緯で誕生した日本国憲法ですが、敗戦から大日本帝国憲法改正までの経緯を、別の視点で考えてみましょう。

ある企業のA部門で、多数の死亡者を出し、設備の多くを破壊する巨大事故が発生しました。
事故現場を見たこの企業の安全部門は考えました。「同じような事故を繰り返さないためには、安全の仕組みから抜本的に見直す必要がある」
安全部門から指示を受けたA部門では、安全マニュアルを見直しましたが、これでは抜本的な見直しになってないと安全部門は再度見直すよう指示しました。
A部門では自前では十分な安全対策ができないと考え、外部のコンサルタントを招いて、今まで部門内では誰も思いつかなかったような斬新な安全対策を施し、マニュアル化しました。
この安全対策をマニュアルを見た安全部門は、「これは素晴らしい」と絶賛し、新しい安全対策を承認しました。

大きな事故が起きた後は、(まともな企業であれば)どこでも、このような安全対策を取ると思います。

ここで、A部門から見れば、安全部門の方針は「押し付け」と言えば押し付けになるでしょう。ですが、この安全対策が「押し付けだからダメ」となるでしょうか?

実は、今の話で、A部門を大日本帝国、安全部門をGHQ、外部コンサルタントを実際に憲法草案を作成した民間人に置き換えると、大東亜戦争敗戦から日本国憲法制定までの日本の状況になるのです。


大東亜戦争は、非戦闘員を含む何百万人もの国民を犠牲にし、国土の多くを焦土化した、まさに「巨大事故」でした。

この「巨大事故」を再び起こさないためには、憲法と言う「仕組み」からの抜本的な見直しが必要でした、少なくともGHQと言う「安全部門」の認識は、そうでした。

このような紆余曲折を経て制定されたのが日本国憲法なので、押し付けと言えば押し付けですが、同時に「押し付けだから悪だ、見直せ」と言う論調が成り立たないのもまた確かです。

さらに付け加えるならば、巨大事故再発防止策として、安全の仕組みから抜本的に見直す文化は、アメリカでは一般的ですが、当時の日本では馴染みのない考え方だったことも、「日本国憲法はGHQの押し付け」論とそれに伴う日本国憲法改正論が出てくる背景にあるのでしょう。


最後に

私自身、「カイゼン活動」の一環として、日本国憲法の見直しや改正を否定するつもりはありませんし、むしろそれが必要な時期に差し掛かっているとも思います。

しかしだからこそ、大東亜戦争敗戦から日本国憲法制定に至る過程の本質を理解しておく必要があると思うのです。さもなければ、日本国憲法の改正が、日本を破滅的な未来に向かわせる引き金になりかねません。

改憲賛成派も、改憲反対派も、どうか、日本国憲法制定(=大日本帝国憲法の改正)の本質が、巨大事故の再発防止策としての安全対策であった事を理解していただければと思います。


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