『孟子』万章下155ー孟子と北宮錡の対話 周王朝の爵位と土地制度

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*今回は、衛(えい)の国の北宮錡(ほくきゅうき)という人物との対話です。

北宮錡(ほくきゅうき)は質問して言った。

「周王室は、爵位や俸禄の序列づけをおこないましたが、どのように行ったのでしょうか。」

孟子は言った。

「その詳細について、もはや聞くことはできないでしょう。
諸侯は、王朝の制度が自分たちの利権を抑えてしまうことを憎み、制度を記録した典籍をすべて破棄してしまったのです。
しかしながら、私は、かつて、そのおおよその内容を聞いたことがあります。
まず…、
天子(てんし)という一つの位、
公(こう)という一つの位、
侯(こう)という一つの位、
伯(はく)という一つの位、
子(し)と男(だん)が同等で、一つの位とされます。
このように天下全体は、五つの等級に分かれていました。

そして…、
君(くん)が一つの位、
卿(けい)が一つの位、
大夫(たいふ)が一つの位、
上士(じょうし)が一つの位、
中士(ちゅうし)が一つの位、
下士(かし)が一つの位とされました。
このように天子のお膝元や、諸侯国の内部はすべて、六等級に分かれていました。

さて、天子の制度が適用される直轄の領土は、千里四方に渡ります。
公と侯はいずれも百里四方、
伯は七十里四方、
子と男は五十里四方、
このように、土地の区分は全体で四等級に分けられました。

そして、五十里にとどかない小国は、天子のもとに直接朝見することができません。そこで、諸侯の国に附属しました。これを附庸(ふよう)と言います。

ただし、天子に直接仕える卿は、その受けとる領土が、侯に準じます。
天子の大夫は、その受けとる領土が、伯に準じます。
上士は、その受けとる領土が、子(し)や男(だん)に準じます。

公や侯のような大国は、領地が百里四方です。
君主は、卿の俸禄の十倍、
卿の俸禄は大夫の四倍、
大夫は上士の倍、
上士は中士の倍、
中士は下士の倍、
下士と、庶人でも官職にあずかる者は、同等の俸禄とします。
そのうえで、下士と庶人の俸禄は、百畝の田畑を耕作した分に合わせます。

大国に次ぐ伯の国は、領地が七十里四方。
君主は卿の俸禄の十倍。
卿の俸禄は大夫の三倍、
大夫は上士の倍、
上士は中士の倍、
中士は下士の倍、
下士と、庶人でも官職にあずかる者は、同等の俸禄とします。そのうえで、下士と庶人の俸禄は、百畝の田畑を耕作した分に合わせます。

子や男のような小国は、領地は五十里四方、
君主は卿の俸禄の十倍。
卿の俸禄は大夫の二倍、
大夫は上士の倍、
上士は中士の倍、
中士は下士の倍、
下士と庶人でも官職にあずかる者は、同等の俸禄とします。そのうえで、下士と庶人の俸禄は、百畝の田畑を耕作した分に合わせます。

耕作する者の収穫物は、成人して妻をむかえた一夫ごとに百畝です。
百畝の収穫物で、上農夫は九人の家族を養います。
そして、上に次ぐ農夫は八人の家族を養います。
中の農夫は七人を養う。
中に次ぐ農夫は六人を養います。
下の農夫は、五人を養います。
庶民でも官職にあずかる者は、その俸禄を、この農夫たちのように差をつけるものとします。」

*以上、『孟子』万章下155ー孟子と北宮錡の対話 周王朝の爵位と土地制度

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