『孟子』離婁下127ー孟子の言葉(43)師匠の功罪―子濯孺子と庾公之斯

逄蒙(ほうもう)は、弓の射ち方を羿(げい)から学んだ。
そして、羿の道を極めると、天下においてただ羿だけが自分に勝っていると思うようになった。
こうして、逄蒙は、羿を殺してしまったのである。

さて、このことについて、孟子は言った。

「これはやはり、殺された羿にこそ罪があるだろう。
だが、かつて公明儀(こうめいぎ)はこのように言っている。

〈羿には、ほとんど罪は無い。〉」

孟子は、あらためて言った。

「公明儀は、羿には罪がほとんど無い…、と言っているだけであって、じつは無罪と言っているわけではないのだ。

かつて、鄭(てい)の国の人が、子濯孺子(したくじゅし)という人物に、衛(えい)の国に侵攻させた。
そして、衛は庾公之斯(ゆこうしし)に彼を追撃させた。
子濯孺子は言った。

〈今日、ワガハイは病にかかった。
弓をとることができない。
ワガハイは死ぬのだろうな。〉

そこで、子濯孺子は近くにいた下僕に質問して言った。

〈我らを追撃してくる者は誰だ。〉

下僕は言った。

〈庾公之斯であります。〉

子濯孺子は言った。

〈ワガハイは生き延びたぞ。〉

下僕は言った。

〈庾公之斯は、衛の中でもすぐれた射手であります。
先生が〔ワガハイは生き延びたぞ〕とは、いかなるワケがあるのでしょうか。〉

子濯孺子は言った。

〈庾公之斯は弓の射ちかたを尹公之他(いんこうした)から学んでいる。
その尹公之他は、ワガハイから弓の射ちかたを学んでいるのだ。
その尹公之他というのが、これまた実直な人物なのだ。
だから彼は、友人を選ぶにも、必ず実直な人物ばかりであった。〉

さて、庾公之斯が追いつくと、子濯孺子に呼びかけて言った。

〈先生。なぜ弓を取られないのですか。〉

子濯孺子は言った。

〈今日、ワガハイは病が発症してしまったのだ。弓をとることができない。〉

庾公之斯は言った。

〈小生、弓の射ちかたを尹公之他から学んでおります。
尹公之他は、先生から射ちかたを学んでおります。
私は先生の道によって、逆に先生を傷つけてしまうことを忍びなく思います。
ですが、今日の、この戦(いくさ)という事業は、君主よりいただいた事業であります。
私は、ですから、この戦を棄てることもできません。〉

すると、庾公之斯は、矢を抜き取ると、車輪に叩きつけてヤジリを弾き落とした。
そして、ヤジリがなくなった矢をつがえ、庾公之斯の陣営に射ち込んだ。
庾公之斯は、その場を引き返した。」

*以上、『孟子』離婁下127ー孟子の言葉(4)師匠の功罪―子濯孺子と庾公之斯

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