『孟子』103離婁上ー孟子の言葉(22) 親に仕えるということ


孟子は言った。

「誰かに仕えるというのであれば、ではいったい誰に仕えることが、大切なのであろうか。やはり、親に仕えることが大切なことである。

では、誰かを守るというのであれば、誰を守ることが大切なのであろうか。
やはり、自分の身を守ることが大切なのである。

自分の身を失わず、自分の親に仕えることができた者。
私は、そのような人物の話を、聞いたことがある。

だが、自分の身を失って、自分の親に仕えることができた者。
私は、これまで、そのような人物が存在したという話を、聞いたことがない。

さて、世の中で誰かに仕えるという行為でないものがあろうか。
ということは、親に仕えることは、誰かに仕えるという行為の基本となるのだ。

では、誰かを守るという行為でないことがあろうか。
自分の身を守るということは、何かを守ることの基本なのだ。

曽子(そうし)は父の曽皙(そうせき)を世話していた。
その際、必ず曽皙に、酒と肉をそなえていた。
そして、曽子は、膳を下げようとするときには、必ず残り物を、誰に与えれば良いかたずねた。
そのため、父が残りものがあるのか、と質問すれば、必ず曽子はこのように言った。
〈ありますよ。〉

曽皙が死ぬと、今度は息子の曽元(そうげん)が、曽子を世話することになった。
そして、必ず曽子に、酒や肉を食膳にそなえた。
だが、曽元は、膳を下げようとするときに残りがあっても、誰に与えれば良いか、たずねることはしなかった。
そのため、曽子が残りものはあるのか、と質問すれば、曽元はこのように言った。
〈ないです。〉

曽元は、曽子に対して、なぜこのようなことをしたのか。
それは後日、残りをもう一度、親である曽子に食べさせようと思ったからだ。

だが、これは親の口や肉体の世話をするというものだ。

一方、曽子は、親である曽皙の志まで、世話をされたのだ。
親に仕えるという点においては、曽子のようなやり方が、すばらしいのだ。」

*以上、『孟子』103離婁上ー孟子の言葉(22) 親に仕えるということ

【原文】
孟子曰、「事孰為大。事親為大。守孰為大。守身為大。不失其身而能事其親者、吾聞之矣。失其身而能事其親者、吾未之聞也。孰不為事。事親、事之本也。孰不為守。守身、守之本也。曾子養曾皙、必有酒肉。將徹、必請所與。問有餘、必曰〈有〉。曾皙死、曾元養曾子、必有酒肉。將徹、不請所與。問有餘、曰〈亡矣〉。將以復進也。此所謂養口體者也。若曾子、則可謂養志也。事親若曾子者、可也。」

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