『孟子』告子上175ー孟子の言葉(58)理と義は肉の味 支那・中国古典シンプル全訳 2021年11月25日 20:20 ◆全訳はこちら↓ 孟子 もうし ―全訳―(支那・中国古典シンプル全訳シリーズ) www.amazon.co.jp 1,250円 (2024年09月16日 20:52時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する *前回の孟子の話はつづきます。 人は口で味を感じるものだ。そして、だれでも、ほとんど同じような味をおいしいと感じる。易牙(えきが)は、最初に我々がうまいと感じる味を見出した人物である。もし、彼が口で味を感じたとしても…、その口の性質が人とちがって、犬や馬が、我々と異なるほどのものであったなら、天下がどうして、だれもかれも易牙の味にしたがうと言うのか。味について、天下が易牙に合わせたのは、天下の人々の口がどれも似ているからである。耳も同様である。音程については、天下は師曠(しこう)に合わせたが、これも天下の耳がどれも似たようなものだからである。もちろん、目も同様である。子都(しと)について、天下でその美しさを知らないものはいない。子都の美しさを知らない者がいるとすれば、目が見えない者くらいだろう。だから言うのだ。〈口で味を感じること、誰でも同じような好みがある。耳で声を感じること、誰でも同じように心地よく聴こえる声がある。目で色気を感じること、誰でも同じように美しく見えるものがある。〉そして、心についても、それだけが同様に納得できるものではないないと言うのか。誰でも、心が同じように感じるものとは何であろうか。私は、それが〈理(り)〉であり、〈義〉だと言うのである。聖人は、我々の心に感じることを、最初に見出しただけの人物にすぎない。だから、〈理〉や〈義〉は、我々の心を喜ばせるものであって、ちょうど家畜の肉を我々の口が美味しいと感じるようなものだ。」*以上、『孟子』告子上175ー孟子の言葉(58)理と義は肉の味 ◆音声で聴きたい方はこちら↓(制作途中) ダウンロード copy #哲学 #古典 #中国思想 #諸子百家 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート