『孟子』万章下164ー孟子と万章の対話(20) ある虞人のこと―解答編

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*前回の孟子の言葉はつづきます。

斉の景公が狩猟していたとき、山林を管理していた虞人(ぐじん)を呼びよせようと、旌(せい)の旗をかかげた。だが彼は来なかった。そこで、景公は彼を殺そうとしたそうだ。

志(こころざし)がある士は、溝や谷間にうち捨てられる覚悟を忘れない。
そして、勇敢な士は、その首をはねられる覚悟を忘れないものだ。
孔子が、なぜこの虞人を称賛したのか。それは、彼が作法にしたがわない呼びかけには、命がけで動かなかったからだ。」

*この虞人の逸話は、【滕文公下】73にも登場します。

万章は言った。

「ではでは、虞人を呼びよせるには、どうすればよかったのでしょうか。」

孟子は言った。

「鹿の皮の冠で呼びよせるべきだった。
そして、庶人を呼びよせるには旃(せん)の旗、士を呼びよせるには旂(き)の旗、大夫を呼びよせるには旌(せい)の旗をかかげるのだ。

景公は、大夫を呼びよせる作法で虞人を呼びだそうとした。だから、虞人は死を賭して、決して動かなかったのだ。
もし、士を呼びよせる作法で庶人を呼びつければ、庶人ごときでも、どうして、決して動くことはないだろう。

まして、賢人を呼びよせる作法にしたがわずに賢人を呼びよせることなどできるはずがない。
賢人に会おうと思って、その道の作法にしたがわないのであれば、それはまるで、人に入ってもらおうとしているのに、自分で門を閉ざしてしまうようなものだ。

さて、義とは、つまり行路なのだ。礼とは、つまり門だ。
そして、君子だけが行路を通り、門を出入りできるのだ。
『詩経』にはこのようにある。

〈周の道(みち)は、砥石(といし)のようだ。
それにまっすぐで弓矢のようだ。
君子が踏む場所だ。
小人がただ見守る場所だ。〉」

万章は言った。

「ですが孔子は、君命によって呼びだされると、馬車を待たずに向かったのですよね。
それでは、孔子のやり方は間違いだったということなのでしょうか。」

孟子は言った。

「孔子の場合は、ちょうど仕えている身で、官職にあずかっていた。
だから、官職の任務で、呼びだされていたのだ。」

*以上、『孟子』万章下164ー孟子と万章の対話(20) ある虞人のこと―解答編

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