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三晋の歴史的意義と戦国の顛末
三晋とは、春秋の覇者である晋が3カ国に分裂、韓、魏、趙の総称である。この三晋分裂によって戦国時代は幕を開けたと言われる。
そもそも晋は、黄河中下流域の勢力を糾合する形で北進する楚を牽制し、春秋時代後半戦を主導した。晋の軍事力は強大であった。
楚との激しい抗争が展開される一方で、晋は、西に対する牽制にも成功している。
後に戦国を統一する秦は、すでに春秋時代の一時期、積極的な黄河中流域への進出を試みている。この試みは、秦の穆公の代に、晋の後継者争いに介入する形でおこなわれた。しかしながら、支援した晋の文公の裏切りと、晋の桃林塞構築によって黄河中流域への進出に失敗している。
晋は、西と南の圧力に対する黄河中下流域地域の防壁であった。
戦国時代の前半戦は、覇者であった晋の後継者を巡る三晋の抗争で幕を開けた。そのなかで魏が先んじて主導権を握っていくことになる。
だが、三晋の抗争に介入してきた斉との決戦に敗北、秦に背後を突かれる形で黄河中流西岸部(河西)を失い、主導権を失っていく。
この間、長江流域では北に圧迫を加えていた楚が、越との長期にわたる抗争に決着をつけることに成功する。
楚は長江下流から淮水流域を掌握したことになる。
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