見出し画像

『孟子』23梁恵王下―魯にて、孟子と楽正子の対話―すべては天の意のままに

*これは、孟子が魯に滞在していた際の逸話である。

魯の平公(へいこう)は、孟子と会見しようとした。
すると、側近の臧倉(ぞうそう)という者が、平公にたずねた。

「これまで、我が君がお出かけになる際は、まず係官に行き場所をお知らせくださいました。ところが今日は、馬車に乗車され、すでに馬も繋がれております。
なのに、係官は、我が君の行き場所を存じておりません。
我が君、どちらに赴かれるのですか。」

平公は言った。

「孟子に会おうと思う。」

臧倉は言った。

「なんたること。君たる者、ご自分の身を軽んじて、こちらから先に一介の凡人ごときに会いに行かれるとは…、
孟子が、それほどまで賢者であると思われているのですか……。

礼儀は、賢者から行われていくものです。
ですが、孟子は、母への喪を父の喪よりも派手に行っているような人間です。ですから、我が君が、お会いになる必要はございません。」
*つまり臧倉は、孟子が礼儀を無視するような人間であり、賢者ではない、と主張しているのである。

平公は言った。

「わかった。」

それからしばらくして、楽正子が宮中に入り、平公に謁見して言った。
*楽正子は、平公に孟子を紹介した人物である。

「我が君、なぜ孟子とお会いにならないのですか。」

平公は言った。

「ある者が、私に知らせてくれたのだ。
その者によれば、孟子は、母の喪を父の喪よりも派手に行ったということだ。だから、会いに行くのをやめたのだ。」

楽正子は言った。

「どの部分を指して、我が君は派手だとおっしゃるのですか。
孟子は以前、士の身分でしたが、後に出世して大夫となりました。
まだ士であった頃、父が亡くなったので、三鼎で祀りました。そして、後に出世してから母が亡くなり、今度は五鼎で祀りました。
…まさか、そのことをおっしゃっているのですか。」

*三鼎とは、三つのお供え(豚・魚・腊〈干し肉〉)、五鼎とは、五つのお供え(羊・豚・膚〈豚の切り身の燻製〉・魚・腊)を指す※これについては、諸説あります)。
*もちろん、五鼎の方が、より格上の葬儀である。

平公は言った。

「いやいや。父よりも、母の棺や衣装が豪華であったというところだ。」
*平公は、三鼎や五鼎については、その時点での喪主の身分によって、どちらで行うかが定められているので、そこは問題だと考えていなかった。

楽正子は言った。

「それについても、父よりも母を格上として扱ったと、非難されるものではありません。
孟子が士であった頃と、大夫に出世した後では、財力に違いがあるのは当然です。」

結局、このあと平公が、孟子と会うことはなかった。
またしばらくして、楽正子は孟子にお会いした。
楽正子は言った。

「私は、我が君にあなたと会うよう申し上げたのです。
すると、我が君は、あなたに会おうとされました。
ところが、側近に臧倉という人物がおりまして、我が君が行こうとされるのを阻んだのです。
そのため、我が君は、うかがうことができませんでした。」

孟子は言った。

「その人が、行く宿命であれば、行かせるような力が働くし、止まる宿命であれば、止めさせるような力が働くものです。
行くも止まるも、人がどうのこうのできるものではありません。
私が魯公にお会いできなかったのも、天の御力なのでしょう。
臧氏の者が……、私と魯公を会わせないようにするなど…、彼個人にそんな力はありませんよ。」

*『孟子』23梁恵王下―魯にて、孟子と楽正子の対話―すべては宿命のままに

【原文】
魯平公將出。嬖人臧倉者請曰。「他日君出、則必命有司所之。今乘輿已駕矣、有司未知所之。敢請。」公曰。「將見孟子。」曰。「何哉。君所為輕身以先於匹夫者、以為賢乎。禮義由賢者出。而孟子之後喪踰前喪。君無見焉。」公曰。「諾。」樂正子入見、曰。「君奚為不見孟軻也。」曰。「或告寡人曰、〈孟子之後喪踰前喪〉、是以不往見也。」曰。「何哉君所謂踰者。前以士、後以大夫。前以三鼎、而後以五鼎與。」曰。「否。謂棺槨衣衾之美也。」曰。「非所謂踰也、貧富不同也。」樂正子見孟子、曰。「克告於君、君為來見也。嬖人有臧倉者沮君、君是以不果來也。」曰。「行或使之、止或尼之。行止、非人所能也。吾之不遇魯侯、天也。臧氏之子焉能使予不遇哉。」

*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら→https://amzn.to/3is9GAf

*本チャンネルの訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?