『孟子』離婁下132ー孟子の言葉(47)近所のケンカ、遠くのケンカ

禹(う)や稷(しょく)は、太平の世であっても、三度も自宅の門の前を通り過ぎて、入ることができなかった。
そして、孔子は彼らを賢者であると言った。

*禹は、これまで多く登場してきた夏王朝を開いた人物です。稷は、后稷(こうしょく)の名で知られ、周王室の始祖とされています。

顔回(がんかい)は、戦乱の世にあって、路地裏に住まい、竹の器一杯の食事と、ヒョウタン一個の飲み物で過ごした。人であれば、そんな貧しさに耐えきれるはずもないのだが、顔回が、自身の楽しみからブれることはなかった。
そして、孔子は彼を賢者であると言った。

*顔回も、あらためて紹介すると、顔淵の名でも知られる孔子の直弟子、孔門十哲の一人です。孔子に最も愛された弟子と言われています。

孟子は言った。

「禹と稷、それに顔回は、同じ道をあゆんでいる。
禹は天下で溺れている者がいれば、彼自身がその人を溺れさせていると思いつめた。稷は、天下に飢える者がいれば、彼自身がその人を飢えさせているのだと思いつめた。であるからこそ、彼らの人生は、あのように切迫していたのだ。

このような禹や稷とくらべると、顔回は二人と真逆の行動をとっているように見える。
だが、取り巻く環境が替れば、いずれも同じような行動をとったはずだ。

今、近くで、同じ部屋に住む人間が喧嘩を始めたとしよう。
そして、彼を救いたいと考えるのだ。
あわてて髪がボサボサでまとめることもできず、なんとか冠だけは頭に乗せて、紐を結ばないまま彼を救いに行ったとする。だが、それは当然のことではないか。

では今度は、遠く離れた場所に住む、同郷の人間が喧嘩を始めたとしよう。
そして、やはり彼を救いたいと考えるのだ。
そこで、あわてて髪がボサボサで、まとめることもできず、なんとか冠だけは頭に乗せて紐を結ばないまま彼を救いに行ったとする…。
なんとも、血迷った行動ではないか。

離れた場所での喧嘩なのだ。戸締りをして引っ込んでいても、それは当然のことなのである。」

*『孟子』離婁下132ー孟子の言葉(47)近所のケンカ、遠くのケンカ

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