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『孟子』12―梁恵王下―孟子と斉の宣王の対話(6)財産欲と色欲

斉の宣王は質問した。

「人はみな、私に泰山の明堂を壊せと言ってくる。これは壊すべきだろうか。やはり……、そのままにしておくべきか。」

*明堂とは、王朝の祖先を祭る御堂である。泰山には、周王が天下を視察するための拠点があり、周王朝の明堂が置かれていた。しかし、すでに周王による視察は、形骸化していた。

孟子は答えて言った。

「明堂とは、王者が諸侯を集めるための神聖な場所です。王が、王政を行いたいのであれば、壊してはなりません。」

宣王は言った。

「なるほど…では、王政とは、どのような政治かお聞かせください」

孟子は答えて言った。

「むかし、文王がまだ岐山のあたりを治めていたころ、
田畑への税は、九分の一でした。
国に仕官した者は代々俸禄が与えられ、関所や市場では監視するだけで税金は取りませんでした。
池や川では梁(やな)で魚をとることを禁止することもなく、人を罰する際には本人のみが罰を受け、家族には及びませんでした。
さて……、
老いて妻がいない者を、鰥(かん)と言います。
老いて夫がいない者を、寡(か)と言います。
老いて子がいない者を、獨(どく)と言います。
幼くして父がいない者を、孤(こ)と言います。

この四者は、天下で最も困窮する民で、自ら苦しいことを訴えることができない者たちです。
そこで文王は、政令を発して、仁を行うにあたり、まずはこの四者から手を差し伸べました。

『詩経』にこのようにあります。
〈大丈夫さ富める人、憐れむべきは孤独の人。〉」

宣王は言った。

「善いではないか、いい言葉だ。」

孟子は言った。

「王がもしこの言葉を善いと思われるならば……、なぜ、すぐに行われないのですか。」

宣王は言った。

「……。私には悪いクセがありまして…、私は財貨が好きなのです。」

孟子は答えて言った。

「なるほど、むかし周王朝の祖先に、公劉という人物がおりました。
とても財貨を好む人物でした。
公劉が、中国の乱を避けて民を率いて避難した時のことです。

『詩経』は、こう伝えています。
〈穀物を、野原に積みあげ倉庫にしまい、干し飯を、小さな袋や大きな袋につっこんだ。民を、治めて先祖の功績、輝かそうと考えた。弓矢を張って、盾と戈(ほこ)を掲げ、ここに旅は始まった。〉

ですから、その地に住む者には穀物を野原に積み上げ、倉庫に保管してやったのです。そして、旅行く者には干し飯を小さな袋や大きな袋に入れてやりました。こうして、ようやく出発することができました。

王よ、もし財貨を好まれるのであれば、庶民とともに財貨を分かち合うのです。
王者となることは、容易いでしょう。」

宣王は言った。

「……。私には、また悪いクセがあります。私は色を好むのです。」

孟子は答えて言った。

「むかし、周の祖先である古公亶父は、色を好み、その妃を愛しました。

『詩経』に、このようにあります。
〈古公亶甫、来たりて朝から馬を走らせた。西水のほとりをつたって、岐山のふもとにやって来た。ここに姜氏の娘と出会い、ついに来りて二人で暮らした。〉

この時、家に結婚できないと怨む女はなく、外に結婚できないと嘆く男はいなくなりました。
王よ、もし色を好まれるならば、庶民とともに、男女の愛を分かち合うのです。
王者となることは、容易いでしょう。」

*以上、『孟子』12―梁恵王下―孟子と斉の宣王の対話(6)金銭欲と色欲

【原文】
齊宣王問曰。「人皆謂我毀明堂。毀諸。已乎。」孟子對曰。「夫明堂者、王者之堂也。王欲行王政、則勿毀之矣。」王曰。「王政可得聞與。」對曰。「昔者文王之治岐也、耕者九一、仕者世祿、關市譏而不征、澤梁無禁、罪人不孥。老而無妻曰鰥。老而無夫曰寡。老而無子曰獨。幼而無父曰孤。此四者、天下之窮民而無告者。文王發政施仁、必先斯四者。《詩》云。『哿矣富人、哀此煢獨。〉」王曰。「善哉言乎。」曰。「王如善之、則何為不行。」
王曰。「寡人有疾、寡人好貨。」對曰。「昔者公劉好貨、《詩》云。『乃積乃倉、乃裹餱糧、于橐于囊。思戢用光。弓矢斯張、干戈戚揚、爰方啟行。〉故居者有積倉、行者有裹糧也、然後可以爰方啟行。王如好貨、與百姓同之、於王何有。」王曰。「寡人有疾、寡人好色。」對曰。「昔者大王好色、愛厥妃。《詩》云。『古公亶甫、來朝走馬、率西水滸、至于岐下。爰及姜女、聿來胥宇。〉當是時也、內無怨女、外無曠夫。王如好色、與百姓同之、於王何有。」

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