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『孟子』離婁下110ー孟子の言葉(28)子産批判―為政者の恵みとは

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*鄭(てい)という国があります。
春秋時代、鄭は、晋と楚に挟まれる位置にあり、難しい国家運営が要求されました。ですがそのぶん、すぐれた人材や制度を輩出する先進国でもありました。その代表が、宰相の子産(しさん)です。孔子は、子産の政治を賞賛しています。

子産が、鄭の国の政治を取りしきっていたころの逸話である。
あるとき、溱水(しんすい)と洧水(いすい)という川を渡ろうとする人がいた。
そこで、子産は自分が乗っていた輿(こし)で渡してやったという。

さて、この逸話について、孟子はこのように言っている。

「なるほど……、
子産は恵みぶかい人物ではあったが、政(まつりごと)というものを理解していなかったようだ。

その年の十一月には、歩行者むけの橋くらいならばできたであろう。
そして、十二月になれば、輿を載せるくらいの橋ができあがっていたはずだ。
そうすれば、民が川を渡ることに苦労することなど、そもそもなくなっていたはずなのだ。

君子は、その政治を公平におこなうことができれば、行く先々で人払いをしてもかまわない。
では子産であれば、一人一人いちいち川を渡しながら、すべての人々を救うことができるというのか。

故に、為政者が一人一人いちいち恵みを与えることに喜んでいては、日数がいくらあっても足りはしないのだ。」

*以上、『孟子』離婁下110ー孟子の言葉(28)子産批判―為政者の恵みとは

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