『孟子』告子上173ー孟子の言葉(56)性善―惻隠の心と仁・義・礼・智

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孟子は言った。

「ヒトがそなえる情(じょう)、つまり純粋な感情だけにしたがうならば、やはり善を行うはずだ。だから人間の性質は〈善〉であると言うのだ。
普段、善ではないことをしてしまうが、それは才能によるものではないのだ。

惻隠の心、つまり他人の不幸を可哀想だと思う心は、人ならば誰しも持っているものなのだ。
そして、その心がないことを恥じて憎む心を、誰しも持っている。
それに、恭(うやうや)しくヒトを敬う心を、人は誰しも持っている。
さらに、是非の判断ができる心も、人ならば誰しも持っているものだ。

惻隠の心は、仁だ。
恥じて憎む心は、義だ。
恭しくひとを敬う心は、礼だ。
是非の判断ができる心は、智だ。

仁義礼智は、自分の外側からメッキをしたものではない。
我々の、この仁義礼智こそが、人間固有のものなのだ。
それに、ただ気づかないだけなのだ。
だから言うのだ。

〈求めつづければ、仁義礼智を得られる。
だが、放置したままでは、これを失う。すると、互いの距離は倍にも五倍にもひろがり、ついには数えきれない差が生じてしまう。
こうなってしまったのは、自身の才能を出しつくそうとしなかったからだ。〉

さて、『詩経』にはこのようにある。

〈天は民を生み、万物に規則を持たせた。
民の常日頃のこころがけ、この万物の規則なる美徳を好むのだ。〉

孔子は言っている。

〈この詩をつくった者は、道を理解しているね。〉

『詩経』や孔子が言うように、万物があれば、そこには必ず規則がある。
そして、民は常日頃のこころがけとして、この万物の規則という美しい徳を好むものなのだ。」

*以上、『孟子』告子上173ー孟子の言葉(56)性善―惻隠の心と仁・義・礼・智

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