『孟子』離婁下134ー孟子の言葉(48)曽子と子思の選択

*曽子(そうし)は、あらためて紹介すると、孔子の直弟子、孟子の師匠筋にあたる人物です。
さて、孔子が亡くなった後、曽子が活躍した時期に入ると、長江下流域では、呉(ご)と越(えつ)の覇権交替が起きます。
孔子や曽子の母国である魯は、それまで呉と連携していました。そのため、今度は、越との関係に苦慮することになります。
これは、そんな時期の逸話です。

かつて曽子が武城(ぶじょう)に滞在していたとき、越(えつ)の国が攻めてきた。

ある人が言った。

「敵がもう来ています。なぜここから逃げないのですか。」

曽子は言った。

「では、管理人を私の家に住まわせることにしよう。薪につかう庭木を傷つけないように。」

しばらくして、越の軍が撤退しつつあるということで、曽子はこのような言伝をおくった。

「私の垣根や家屋を修理しておくように。私は、いま帰ろうとしているところだからね。」

越の軍が撤退してから、曽子が戻ってきた。
そこで、周りにいた弟子たちは言った。

「武城の人々は、先生を待遇するために、あれほどまでに誠心誠意、かつ敬意を表されていたのです…。
なのに、敵が攻めてくると、我先にと逃げ去り、民にもそうしなければと思わせました。ところが、敵が撤退すると、すぐに戻られました。
これは、かなり…、
けしからんことではないですかね。」

すると、弟子の沈猶行(しんゆうこう)が言った。

「これは、キミらが理解できるようなことではないよ。
以前、われら沈猶(しんゆう)の家に、負芻(ふすう)というやつが攻めてくる、という事件があった。
その際、現場に居合わせた先生は、従っていた七十人の弟子ともども、最後までこの事件に関知されなかったのだ。」

*ここまでが曽子の逸話です。次は、子思(しし)の逸話です。

さて、子思が衛(えい)の国に仕えていた際、斉の国が攻めてきた。
ある人が言った。

「敵がもう来ています。なぜここから逃げないのですか。」

子思は言った。

「もし私が立ち去れば、わが君は誰ととともに衛の国を守ろうというのだ。」

さて、以上の曽子と子思の逸話について、孟子は言った。

「曽子と子思は、どちらも同じ道をあゆんでいる。
曽子は、あくまでも教師、父兄という立場であった。
だが、子思は、臣下であり、身分の低い立場であった。

ということは、やはり曽子も子思も、互いに立場が替れば、どちらも同じように行動を変えたはずである。」

*以上、『孟子』離婁下133ー孟子の言葉(48)曽子と子思の選択

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