『孟子』離婁下133ー孟子と公都子の対話(5)五つの不孝
*斉の匡章(きょうしょう)は、孟子の友人です。
原因はわかりませんが、彼は、父親と喧嘩してしまい、それっきり家を出てしまったそうです。そのため彼は、斉の人々の間で不孝者と噂されていました。
今回は、そんな彼について、弟子の公都子(こうとし)との対話です。
公都子は言った。
「匡章さまは、国全体を通じて誰からも不孝者と呼ばれております。
ですが先生は、あのお方と交際され、しかも、あのお方には、礼儀をはらって喜ばしいご様子でお会いになっておられますよね。
なぜなのでしょうか。」
孟子は言った。
「世俗には、いわゆる不孝というものが五つある。
自分の手足を動かさず怠けてばかりで、父母の世話をすることに関心がない。これがまず一つ目の不孝だ。
次に、博打をしたり、酒ばかり飲んで、父母の世話をすることに関心がない。これが二つ目の不孝だ。
そして財貨をやたら貯め込み、妻子は可愛がるが、父母の世話をすることに関心がない。これが三つ目の不孝だ。
さらに、欲望のおもむくままに、自分の耳や目に入ってくる誘惑に従った結果、父母にまで屈辱を強いる。これが四つ目の不孝だ。
やたらと勇敢ぶって、喧嘩をしたり暴れたりした挙句に、父母まで危険な目に遭わせる。これが五つ目の不孝だ。
さて、匡章先生はというと…、この五つの、どれひとつとして当てはまらない。
匡章先生は、子として、父親と互いに善であれと思い、強く言い合いとなり、両者の思いがスレちがってしまったのだ。
互いに善であれと強く言い合うのは、本来は友情の道である。
父子が互いに善であれと強く言い合いとなってしまっては、親子の恩愛を大きく傷つけてしまう。
かの匡章先生が、どうして、自分の妻子や母をはじめ、家族と暮らしたいと望まないことがあろうか。
彼は、父と喧嘩するという罪を犯してしまったために、父親の世話をすることができなくなってしまった。
そこで、自分も妻や子の世話になる資格はないと思い、妻を離縁して、子供を遠ざけることにしたのだ。
彼の心がまえについて考えてみたのだが、なるほど、そうでもしなければ、ますます罪を重ねていくことになってしまっただろう。
これが、匡章先生が不孝と噂されてしまう理由のすべてだ。」
*以上、『孟子』離婁下132ー孟子と公都子の対話(5)五つの不孝
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