『孟子』離婁下133ー孟子と公都子の対話(5)五つの不孝 支那・中国古典シンプル全訳 2021年7月19日 10:45 *斉の匡章(きょうしょう)は、孟子の友人です。原因はわかりませんが、彼は、父親と喧嘩してしまい、それっきり家を出てしまったそうです。そのため彼は、斉の人々の間で不孝者と噂されていました。今回は、そんな彼について、弟子の公都子(こうとし)との対話です。公都子は言った。「匡章さまは、国全体を通じて誰からも不孝者と呼ばれております。ですが先生は、あのお方と交際され、しかも、あのお方には、礼儀をはらって喜ばしいご様子でお会いになっておられますよね。なぜなのでしょうか。」孟子は言った。「世俗には、いわゆる不孝というものが五つある。自分の手足を動かさず怠けてばかりで、父母の世話をすることに関心がない。これがまず一つ目の不孝だ。次に、博打をしたり、酒ばかり飲んで、父母の世話をすることに関心がない。これが二つ目の不孝だ。そして財貨をやたら貯め込み、妻子は可愛がるが、父母の世話をすることに関心がない。これが三つ目の不孝だ。さらに、欲望のおもむくままに、自分の耳や目に入ってくる誘惑に従った結果、父母にまで屈辱を強いる。これが四つ目の不孝だ。やたらと勇敢ぶって、喧嘩をしたり暴れたりした挙句に、父母まで危険な目に遭わせる。これが五つ目の不孝だ。さて、匡章先生はというと…、この五つの、どれひとつとして当てはまらない。匡章先生は、子として、父親と互いに善であれと思い、強く言い合いとなり、両者の思いがスレちがってしまったのだ。互いに善であれと強く言い合うのは、本来は友情の道である。父子が互いに善であれと強く言い合いとなってしまっては、親子の恩愛を大きく傷つけてしまう。かの匡章先生が、どうして、自分の妻子や母をはじめ、家族と暮らしたいと望まないことがあろうか。彼は、父と喧嘩するという罪を犯してしまったために、父親の世話をすることができなくなってしまった。そこで、自分も妻や子の世話になる資格はないと思い、妻を離縁して、子供を遠ざけることにしたのだ。彼の心がまえについて考えてみたのだが、なるほど、そうでもしなければ、ますます罪を重ねていくことになってしまっただろう。これが、匡章先生が不孝と噂されてしまう理由のすべてだ。」*以上、『孟子』離婁下132ー孟子と公都子の対話(5)五つの不孝 ◆全訳はこちら↓ 孟子 もうし ―全訳―(支那・中国古典シンプル全訳シリーズ) www.amazon.co.jp 1,250円 (2022年03月04日 17:00時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する ◆音声で聴きたい方はこちら↓(制作途中) ダウンロード copy #哲学 #古典 #中国思想 #諸子百家 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート