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『孟子』告子下201ー孟子と慎子の対話 領土争いを難じる

◆全訳はこちら↓

魯(ろ)は、慎子(しんし)という人物を将軍に任命した。

*この当時、魯は、慎子を指揮官として、斉の南陽(なんよう)の地へ進攻する計画を立てていました。

孟子は言った。

「民に教育をほどこすこともせず、民を利用する。
これを〈民に災厄をもたらす〉と言います。
民に災厄をもたらす者は、尭や舜の世であれば受け入れられることはないでしょう。
たとえ一戦して斉に勝利をあげ、南陽の地を取ったとしても、それでも良い結果にはならないでしょう。」

慎子は、険しい表情をすると、不機嫌になって言った。

「その言葉、私にはよくわかりませんな。」

孟子は言った。

「ならば、私は、ハッキリとあなたにお伝えしましょう。
天子の領土は千里四方です。
千里もなければ、諸侯を迎えてやることができなかったからです。

そして、その諸侯の領地は百里四方です。
領土が百里にとどかなければ、宗廟の典籍を守ることができないからです。

周公が魯に封建されとき、領土は百里四方ほどでした。
これは土地が足りないから、百里に抑えられていたわけではありません。
それに、太公(たいこう)が斉に封建されたときも、やはり百里四方でした。
これも土地が足りなかったわけではなく、あえて百里に抑えたのです。
ところがです。

今や、魯の百里四方の領土が、五倍にまで拡大しています。
では、あなたは、もし尭や舜のような王者が出現したならば、今の魯が、領土を削られると思いますか。それとも、加増されると思いますか。

ただ、あちら側から取り上げて、こちら側に与えるという穏便なやりとりですら、仁者はむやみに行いません。
まして、わざわざ人を殺して領土を求めるとは、どういうことですか。
君子は、君主に仕えたならば、努力して君主を導きます。
そして、君主が道にしたがうようにして、仁であることに意志を向けさせるのです。」

*以上、『孟子』告子下201ー孟子と慎子の対話 領土争いを難じる

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