『孟子』万章上143ー孟子と咸丘蒙の対話(1) 尭舜革命の順序―天に二日なく、民に二王なし
*今回は、弟子の咸丘蒙(かんきゅうもう)との対話です。
咸丘蒙は質問して言った。
「古い語録には、このようにあります。
〈盛んな徳をそなえた士は、君主であっても、臣下として扱うことができない。
父であっても、子として接することができない。〉
つまり、舜が南面して 天子に即位すると、尭は、諸侯を率いて北面して彼に朝見したということです。
そして、舜の父である瞽瞍(こそう)も同様に、北面して彼に朝見したということでしょう。
*南面とは、北側から南に向くこと。北面とは、南側から北に向くことです。君主は南面、臣下は北面で並ぶものとされています。
舜は、瞽瞍を見ると、顔がどことなく不安気であったそうです。
孔子は言っております。
〈この時、天下は危機に瀕しており、いまにも崩落しそうであった。〉
よくわからないのですが、この語録は真実なのでしょうか。」
孟子は言った。
「いや。その語録の言葉は、君子の言葉ではない。斉の野人(やじん)が語った言葉だ。『尚書』の尭典(ぎょうてん)にはこのようにある。
〈二十八年、放勳(ほうくん)は崩御された。百姓は自分の父母のように喪に服して三年のあいだ、世界は八音の演奏を止めて静謐であった。〉
*放勳とは、尭のことです。
そして、孔子はこのように言っている。
〈天に二日(じつ)なく、民に二王なし。〉
舜が天子になったあと、天下の諸侯を率いて、尭のために三年の喪を行ったとしよう。そうなると、二人の天子が同時にいたことになってしまうよ。」
*ここでは、尭舜革命の伝説をめぐって、孟子が考察を展開しています。この革命について孟子は、実際には尭が崩御した後に、舜が即位した、と考えていたようです。
*以上、『孟子』万章上143ー孟子と咸丘蒙の対話(1) 尭舜革命の順序―天に二日なく、民に二王なし
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