『孟子』万章上142ー孟子と万章の対話(7) 父母に嫌われた舜〈6〉弟は追放されたのか―孟子の歴史分析

*先に見たように、舜の弟である象(しょう)は、父母と共謀して舜を殺害しようとしました。ですが舜は、彼を許しました…、というのは、あくまでも孟子系統の儒家の解釈です。
むしろ当時は、舜が象を追放したという伝説が主流であったようです。
さて、孟子はこの主流派の伝説をどのように解釈したのでしょうか。
孟子と万章の対話はつづきます。

万章は、さらに質問して言った。

「象は、毎日のように、舜を殺すことを生き甲斐にしていたような人物です。
ですが、舜が即位して天子となっても、彼を追放しただけですましてしまいました。なぜなのでしょうか。」

孟子は言った。

「その話だが…、彼を諸侯として地方に封建したことが、なぜか追放したという話に替わってしまったようだね。」

万章は言った。

「舜は共工(きょうこう)を幽州に流刑とし、驩兜(かんとう)を崇山(すうざん)に追放しました。
それに、三苗(さんびょう)を三危(さんき)で殺害し、鯀(こん)を羽山(うざん)で処刑しました。
彼ら四罪(しざい)を処断したことで、天下は完全に服属しました。
これは、舜が、仁ではない者たちを誅殺したからです。

*共工、驩兜、三苗、鯀の四人は、いずれも舜によって処刑、追放された、とされる伝説的な悪人たちです。
この『孟子』では、「四罪」と呼ばれていますが、現在の『尚書(しょうしょ)』や、司馬遷(しばせん)『史記(しき)』では、「四凶(しきょう)」と呼ばれています。

ですが、象は極めて仁ではない人物です。
彼のような人物を有庳(ゆうひ)の地に封建したとおっしゃるのであれば、では、有庳の人々には何の罪があるというのでしょうか。
舜のような仁の人が、当然のようにこのようなことをするとは…。
他人には誅罰をくわえておいて、弟は封建するものなのですかね。」

孟子は言った。

「仁の人は、弟に対しても、怒りの感情を隠さないものだ。

だが、かといって、ずっと怨みつづけるようなことはしない。
怒りもすべて、弟を親身になって愛しているからだ。
弟に親身になれば、彼に地位を与えてやりたいと思うものだ。それに、彼を愛していれば、富ませてやりたいとも思うだろう。

弟を有庳に封建したのは、彼に富と権威をあたえてやりたかったからだ。
舜が、自分自身は天子となったのに、弟がそこらの匹夫であるというのでは、兄弟を親身になって愛していると言えるだろうか。」

万章は、あらためてたずねた。

「それでは、ぜひとも質問させていただきたく思います。
では、象が追放されたと言われているのは、なぜなのでしょうか。」

孟子は言った。

「さすがに、象のような人物に、実際に国を治めさせることはできないよ。
天子である舜は、実際には官吏を派遣して国を治めさせていたのだ。
そして、その税を象に収めさせるようにしていた。
だから、実質的には象が追放された、と言われているのだろうね。
しかし、こうすれば、どうして、象が民に暴虐をはたらくことなど、出来はしないだろう。

それでも、舜は常々、彼に会いたいと思っていたようだ。だから、象の方からも、水が流れるようにいつまでも、舜のもとにやって来たそうだね。
古い記録にはこのようにある。

〈諸侯の朝貢とかかわりなく、政治のことで、舜は有庳の国君に接見された。〉

この記録は、そういうことだろう。」

*以上、『孟子』万章上142ー孟子と万章の対話(7) 父母に嫌われた舜〈6〉弟は追放されたのか―孟子の歴史分析

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