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『孟子』告子下206ー孟子と公孫丑の対話(14)楽正子の人柄―ただ善であること

◆全訳はこちら↓

*楽正子という人物がいます。これまでにも登場してきた魯の高官にして、孟子の弟子です。
今回は、彼が魯の宰相に就任したときの逸話です。

さて、孟子は、嬉しさのあまりに眠れませんでした。
あまりにも喜ぶので、弟子の公孫丑は不思議に思ったようです。

魯(ろ)は、楽正子(がくせいし)に政治を取り仕切らせようと考えた。

孟子は言った。

「私は…、その話を聞いて、嬉しすぎて眠れなかったよ。」

公孫丑は言った。

「楽正子には、強(したた)かさがあるのですね。」

孟子は言った。

「いや。」

公孫丑は言った。

「では、細やかな知恵があるのですか。」

孟子は言った。

「いや。」

公孫丑は言った。

「では、見聞が広い、博識なのですか。」

孟子は言った。

「いや。」

公孫丑は言った。

「ではなぜ、先生は嬉しさのあまりに眠ることができなかったのですか。」

孟子は言った。

「楽正子の人柄が、善を好むからだ。」

公孫丑は言った。

「善を好めばそれでよいのですか。」

孟子は言った。

「善を好めば、天下の統治ですら余裕だ。まして魯国だよ。

かりにも善を好めば、世界中において、誰もが千里などたいしたことはない、と思いながら来訪することだろう。そして、善い言葉を彼に報告するのだ。

だが、かりにも善を好まなければ、人々はこのように言うだろう。

〈自分の知恵に満足して、人の言葉など喜ぶまい。
我々も、彼がそういう人物であることは、わかってるよ。〉

自己満足の声や表情は、人々を千里の彼方に追いやり、士は、千里の外で止まることになる。
すると、悪口や讒言をまき散らす連中や、口先だけのおべっかをつかう人々ばかりが、やって来ることになる。

では、悪口や讒言をまき散らす連中や、口先だけのおべっかをつかう人々と一緒に住むことになったとしよう。
国家が治まることを望んでも、できるはずがないではないか。」

*以上、『孟子』告子下206ー孟子と公孫丑の対話(14)楽正子の人柄―ただ善であること

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