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『孟子』44公孫丑下―孟子と孔距心の対話 誰の罪か


*平陸は、斉の邑である。そこは、大夫の孔距心(こうきょしん)という人物が治めていた。

孟子は平陸(へいりく)を訪ねた。
そして、その大夫である孔距心に言った。

「あなたの部下で、戟を捧げる兵士が、一日に三度も隊列を離れることがあったとします。その兵士をクビにしますか、どうしますか。」

孔距心は言った。

「三回も待たずにクビにしますよ。」

孟子はこたえた。

「なるほど、ですが、あなたご自身が隊列を離れるような、職務怠慢の回数は、三回どころではありませんね。
凶作、飢饉の年になると、あなたの民は、老人や病人が溝や谷間に転がっています。それに、若者は散り散りになって、四方に去る者は、何千いるかもわかりません。」

孔距心は言った。

「それは、私ごときがなんとかできる問題ではありません。」

孟子は言った。

「今、人に頼まれて牛や羊を管理している者がいたとします。
彼は、まず、牛や羊のために牧場や牧草を求めるでしょう。
ところが、牧場や牧草を求めた結果、用意できませんでした。

では、その牛や羊を、依頼主に返すべきでしょうか。
それとも立ちつくして、牛羊が死んでいくのを、ただただ見守るべきでしょうか。」

孔距心は言った。

「これは…、私の罪です…。」

後日、孟子は、湣王に謁見して言った。

「王の邑を治める者に、私は五人ほど会いました。
ですが、そのなかで自身の罪を理解する者は、孔距心だけでした。」

そして、孟子は湣王のために、先日の出来事を話した。
すると、湣王は言った。

「それは、私の罪である。」

*以上、『孟子』44公孫丑下―孟子と孔距心の対話 誰の罪か

【原文】
孟子之平陸。謂其大夫曰、「子之持戟之士、一日而三失伍、則去之否乎。」
曰、「不待三。」「然則子之失伍也亦多矣。凶年饑歲、子之民、老羸轉於溝壑、壯者散而之四方者、幾千人矣。」曰、「此非距心之所得為也。」曰、「今有受人之牛羊而為之牧之者、則必為之求牧與芻矣。求牧與芻而不得、則反諸其人乎。抑亦立而視其死與。」曰、「此則距心之罪也。」他日、見於王曰、「王之為都者、臣知五人焉。知其罪者、惟孔距心。為王誦之。」王曰、「此則寡人之罪也。」

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*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

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