『孟子』万章下163ー孟子と万章の対話(19) 士と君主に友情なし 支那・中国古典シンプル全訳 2021年9月24日 09:38 ◆全訳はこちら↓ 孟子 もうし ―全訳―(支那・中国古典シンプル全訳シリーズ) www.amazon.co.jp 1,250円 (2022年03月04日 17:00時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 万章は言った。「ぜひとも質問をおゆるしください。先生は諸侯にお会いになりませんが、どのような義(ぎ)があるのでしょうか。」孟子は言った。「国都にいる者を市井(しせい)の臣と言う。そして、地方にいる在野を、草莽(そうもう)の臣と言う。どれもまだ仕官はしていないので、庶人(しょじん)と言う。庶人が、献上品をささげて、臣下となるつもりがないのであれば、こちらから積極的に諸侯に会わないようにするのだ。これが礼である。」万章は言った。「庶人は、君主がその庶人を召し出して、使役する場合には、その使役に応じなければならないものです。ですが、君主が呼び出しても、会いに行くものではない、とするのは、なぜなのでしょうか。」孟子は言った。「庶人が、君主の使役に応じるのは、義にしたがった行為だ。だが、庶人が、こちらから君主に会いに行くというのは、義にもとる行為だ。ということは…、呼びつけるということは、義に反するようなことをさせてまで、君主が、その庶人に会おうとするということだ。君主はどういうつもりなのか、ということになる。」万章は言った。「それは、その庶人が、多くの知識を聞き知っているからではないでしょうか。君主にしてみれば、彼は賢者であると思っているのです。」孟子は言った。「なるほど、その庶人が多くの知識を聞き知っている人物であるとしよう。ならばむしろ、天子ですら、その人物を師として仰ぎ、呼びつけるようなことはしない。まして、諸侯ごときがそんなことをしていいはずがない。その庶人が、賢者であるとしよう。私はこれまで、賢者に会おうとして、呼びつけるなどと聞いたことがない。魯の穆公は、頻繁に子思と会見された。穆公は言った。〈古の時代、車千乗の君主でも、士(し)の身分の人物と友情をかわしたそうです。いかが思われるかな。〉子思は、その話に喜ばず、このように言った。〈古の人物に、このような言葉があります。〔士たる人物は、君主に仕えるものだ。〕どうして、友などとおっしゃられるのですかね。〉*ここまで子思の言葉です。さて、子思が穆公の言葉に喜ばなかったのはなぜか。思うに、このように言いたかったのではないだろうか。〈位の上では、あなた様は君主です。一方、私は、臣下です。なぜ、あえて君主の友にならねばならないのでしょうか。逆に、徳については、あなた様は、私に仕えるべき立場です。どうして、私と友になれると思うのですか。〉車千乗の君主が、士の身分のものと友情をかわすなど、不可能なことだ。まして、呼びつけるなどと…。*孟子の言葉はつづきます。*以上、『孟子』万章下163ー孟子と万章の対話(19) 士と君主に友情なし ◆音声で聴きたい方はこちら↓(制作途中) ダウンロード copy #哲学 #孟子 #中国思想 #諸子百家 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート