『孟子』万章下163ー孟子と万章の対話(19) 士と君主に友情なし

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万章は言った。

「ぜひとも質問をおゆるしください。
先生は諸侯にお会いになりませんが、どのような義(ぎ)があるのでしょうか。」

孟子は言った。

「国都にいる者を市井(しせい)の臣と言う。
そして、地方にいる在野を、草莽(そうもう)の臣と言う。
どれもまだ仕官はしていないので、庶人(しょじん)と言う。
庶人が、献上品をささげて、臣下となるつもりがないのであれば、こちらから積極的に諸侯に会わないようにするのだ。
これが礼である。」

万章は言った。

「庶人は、君主がその庶人を召し出して、使役する場合には、その使役に応じなければならないものです。
ですが、君主が呼び出しても、会いに行くものではない、とするのは、なぜなのでしょうか。」

孟子は言った。

「庶人が、君主の使役に応じるのは、義にしたがった行為だ。
だが、庶人が、こちらから君主に会いに行くというのは、義にもとる行為だ。
ということは…、
呼びつけるということは、義に反するようなことをさせてまで、君主が、その庶人に会おうとするということだ。
君主はどういうつもりなのか、ということになる。」

万章は言った。

「それは、その庶人が、多くの知識を聞き知っているからではないでしょうか。
君主にしてみれば、彼は賢者であると思っているのです。」

孟子は言った。

「なるほど、その庶人が多くの知識を聞き知っている人物であるとしよう。
ならばむしろ、天子ですら、その人物を師として仰ぎ、呼びつけるようなことはしない。まして、諸侯ごときがそんなことをしていいはずがない。

その庶人が、賢者であるとしよう。
私はこれまで、賢者に会おうとして、呼びつけるなどと聞いたことがない。

魯の穆公は、頻繁に子思と会見された。
穆公は言った。

〈古の時代、車千乗の君主でも、士(し)の身分の人物と友情をかわしたそうです。いかが思われるかな。〉

子思は、その話に喜ばず、このように言った。

〈古の人物に、このような言葉があります。

〔士たる人物は、君主に仕えるものだ。〕

どうして、友などとおっしゃられるのですかね。〉
*ここまで子思の言葉です。

さて、子思が穆公の言葉に喜ばなかったのはなぜか。
思うに、このように言いたかったのではないだろうか。

〈位の上では、あなた様は君主です。一方、私は、臣下です。
なぜ、あえて君主の友にならねばならないのでしょうか。
逆に、徳については、あなた様は、私に仕えるべき立場です。
どうして、私と友になれると思うのですか。〉

車千乗の君主が、士の身分のものと友情をかわすなど、不可能なことだ。
まして、呼びつけるなどと…。

*孟子の言葉はつづきます。

*以上、『孟子』万章下163ー孟子と万章の対話(19) 士と君主に友情なし

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