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『孟子』83滕文公下―孟子と公都子の対話(2) 理屈っぽいわけ〈2〉春秋と孔子

◆全訳はこちら

*前回の孟子の言葉はつづきます。

……。周の御世が衰えると、デタラメな言説や、暴力行為がおこなわれるようになった。そして、臣下には自分の君主を殺害する者があらわれ、子には自分の父親を殺害する者があらわれるようになった。
孔子は、このような情勢を恐れて『春秋』を作られたのだ。

*『春秋』とは、もともと魯の史官によってまとめられた歴史記録です。
ですがここで孟子が、『春秋』の製作者を孔子であると明言したことで、のちに『春秋』は、儒教の経書として位置づけられていきます。
有名な『春秋左氏伝』、『春秋公羊伝』、『春秋穀梁伝』は、いずれも後から記された『春秋』の注釈書、もとい解説書です。


『春秋』を作るというのは、もともと天子がとりしきるべき事業だった。
そのため、孔子は言っている。
〈私のことを知る者がいれば、それはこの『春秋』によってであろう。
そして、私のことを批判する者がいれば、やはり、それはこの『春秋』によってであろう。〉
……。

*孟子の言葉はさらにつづきます。

*以上、『孟子』83滕文公下―孟子と公都子の対話 理屈っぽいわけ〈2〉春秋と孔子

◆音声でも公開中

【原文】
……。世衰道微、邪說暴行有作、臣弒其君者有之、子弒其父者有之。孔子懼、作『春秋』。『春秋』、天子之事也。是故孔子曰、〈知我者其惟春秋乎。罪我者其惟春秋乎。〉……。

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