『孟子』万章下156ー孟子と万章の対話(13)友情について、ただし…

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万章は質問して言った。

「ぜひとも質問させていただきたく思います。友情についてです。」

孟子は言った。

「年長であることを友情に挟まない。
地位の高さを友情に挟まない。
兄弟自慢を友情に挟まない。

そうすれば友情はなりたつだろう。
友情とは、その人の徳を友とするものだ。
ほかのことを友情に挟んではならない。

かつて、孟献子(もうけんし)は、車百乗の家柄であった。
そんな彼には五人の友人がいた。
楽正裘(がくせいきゅう)、牧仲(ぼくちゅう)、…あとの三人は…、私が忘れたので、まあいいか。

とにかく、孟献子が彼ら五人との友情をかわした際、そこに孟献子自身の家柄など意識すらしていなかった。
それに、彼ら五人の方も、やはり孟献子の家柄を気にしていたならば、孟献子と友とはなりえなかったであろう。

では、ただ車百乗の家程度だから、そうであったかといえば、そうではない。
小国の君主であっても、このような例がある。

かつて費(ひ)の国の恵公(けいこう)は言った。

〈私は、子思(しし)を、自分の師匠だと思っています。
私は、顔般(がんはん)を、自分の友人だと思っています。
そして、王順(おうじゅん)と長息(ちょうそく)は、私に仕える者だと思っています。〉

さて、ではあくまでも小国の君主だからかといえば、そうではない。
大国の君主であっても、このような例はある。

晋(しん)の平公(へいこう)は、亥唐(がいとう)と付き合った際、亥唐が入ってくれと言えば入り、座ってくれと言えば座り、食べてくれと言えば食べた。
そして、それが粗末な食事や野菜の吸い物であっても、けっして満足しないことはなかった。思うに、平公は、満腹になるまで食べないわけにはいかなかったのであろう。
ただし…、

この平公の場合は、問題だ。
平公は亥唐との付き合いをたんなる友情ですませてしまったのだ。
ともに天の位を分かち合うこともなければ、ともに天の職責を担うと言うこともしなかった。それに、ともに天の俸禄をいただく、ということもしなかったのだ。

この平公と亥唐の付き合い方は、そこらの士(し)の身分の者が、賢者を尊敬するやり方だ。王公たる身分のものが、賢者を尊敬するやり方ではない。

舜は、推挙されてから帝(てい)に謁見した。すると帝は、自分の娘のムコということで、舜を副宮に宿泊させ、さらに舜を饗応し、互いに賓客と主人となって、互いに応対した。これは、天子でありながら、庶民の男を友としたのだ。

下の身分のものが上の身分のものを敬う。これを〈貴貴(きき)〉と言う。
上の身分のものが下の身分のものを敬う。これを〈尊賢(そんけん)〉と言う。

貴貴も、尊賢も、誰かを尊敬するという意味において、義は一緒なのである。」

*孟献子は、春秋時代の魯で、軍事外交に活躍した人物です。孔子の前の世代あたりの人です。
費は、魯から独立した国で、恵公は、魯の季孫氏の人物です。
子思は、これまでにも登場していますが、あらためて紹介すると、孔子の孫です。
晋の平公は、春秋時代の晋の君主です。彼の晩年あたりから、晋の国内紛争が目立つようになり、その後の韓、魏、趙の分裂につながっていきます。
帝は、あらためて紹介すると、尭です。

*以上、『孟子』万章下156ー孟子と万章の対話(13)友情について、ただし…

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