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第3回 パワハラの定義と判断要素

1.パワハラの事実認定
 2019年に制定され、今年6月1日から施行された「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(第30条の2から8など)」(以下、同規定のみを捉えて「パワハラ防止法」と称する)は、企業にパワハラを防止するための一定の措置を講じるよう要求している。同法の施行に先立って、厚生労働省は「職場のパワーハラスメント防止のための指針」(ガイドライン)を公表し、パワハラの定義づけを行い、さらに、労災認定基準についてもその判断基準を明示にした。パワハラ防止法の内容・評価、及び労災認定基準の解釈については、いずれ取り上げることとし、今回は、パワハラ被害に対する補償・賠償の観点から、事実認定段階において、いかなる関係性のもとでどのような行為が行われたら「パワハラ」と判断されるのかについて検討する。

2.パワハラの定義の難しさ
 パワーハラスメント(以下「パワハラ」という。)という用語は、その他のハラスメントと称する言葉とは性格を異にしている。すなわち、セクシャルハラスメント、モラルハラスメント、マタニティーハラスメントなどの言葉は、行為者の言動が、性的に不快なものであったか、道理に違背するないしは感情を逆なでするものであったか、さらには養育の権利を侵害するものであったかなど、その言動により侵害される価値を表しているが、パワハラは、嫌がらせ行為者と被害者との関係性をイメージさせるに留まる。もちろん、上記3つのハラスメントについても、それが違法ないし不当なものと評価されるか否かは、当該言動の内容だけではなく、当事者の関係がいかなるものであったかによって変わるものであろうから、パワハラはその関係性の方に着目したに過ぎないともいえる。しかしながら、どのような個人の価値を侵害したらパワハラとなるのかが不明確であることは、少なからず混乱を招くことになる。

3.職場で必要となる能力には多様性がある
 例えば、職場において、立場や習熟度の違いを背景に相手を強く叱責したという場合、その叱責の内容が職務の出来不出来の範囲を超えて、相手の性格や生活ぶりに及んだとすると、それ自体でパワハラになってしまうのであろうか。また、叱責が仕事の出来不出来の問題に限定されていたとしても、相手を罵倒するような言い方であればそれも許されないものとなるのか。職場における人間関係は、度々個人のプライバシーに触れるほど親密なものとなることがあり、さらには、相手を真に成長させようと思うと、その性格や生活習慣等に対して是正を促すことが必要であると考えることは、十分にありうることである。職場は、眼前の職務をこなす能力のほか、時間・空間の把握能力、人間関係の形成能力、さらには社会性や寛容さなど、様々な能力を必要とする場合があり、個人の尊厳や個性に踏み込むことなく改善を期待しえないという場合もあるかもしれないのである。

4.指導・叱責の前提となる関係性
 侵害されてはならない個人の価値の範囲が不明確であるにもかかわらず、深く考えられることなくこの言葉が浸透した背景には、力(権限)がある者が相対的に力(権限)のない者に対して理不尽な命令や指導を行うことは許されないという考え方に共感が集まったからであると考えられる。つまり、力(権限)は当該目的との関係において適正に使用されなければならず、自ずと限界があるべきだとの考え方である。もちろん、この考え方に誤りはなく、職場は、自らの人生を投影する場ではなく、単に収入を得るため、もしくは人生に潤いをもたらすために過ぎないと達観すれば、その遂行能力等についての批判は必要最小限度でなければならないということになろう。しかしながら、どこまでが最小限度といえるのかについては、発生している事態の性格や当事者のそれまでの関係性が大きく影響を与えるものであろう。例えば、部下の失敗が本人や同僚の生命を脅かす危険性のあるものであった場合、叱責が強いものとなることは致し方のないことであろうし、また、叱責の内容がプライバシーにまで及ぶものであったとしても、例えば、生活面を含めて面倒を見ていた上司であったという場合であれば、許されるものとなるかもしれない。パワハラのイメージするパワーとは、どこまでの力関係を概念すべきものなのか、ハラスメントの内容は、どのような事情の下でいかなる言動であったら不当なものと評価されるべきなのか。パワハラが問題となる事情や背景は、あまりに個別性が強く、定義づけすることによって誰もが理解しうる形にすることは、極めて困難なものである。

5.予防基準と補償・賠償基準との違い
 労災保険法上の業務上と認められる精神障害の基準に係る出来事としてもパワハラという言葉が用いられることとなったが、言うまでもなく、予防基準たるパワハラ防止法に抵触したと認められる行為であったとしても、ただちに精神障害を生じさせる出来事と判断されるわけではない。また、パワハラに嫌気がさして会社を辞めるという事態になったとしても、損害賠償請求等が認められるとは限らない。被害者側から見るとパワハラ的言動であると感じられたとしても、社会常識的には業務指導の範囲内の叱責であるとみられるべき場合もあろうし、また、誰もが厳しすぎる叱責であると感じられる内容であったとしても、被害者が会社を辞めたこととの間に因果関係があるとは認め難いといった場合もあり得る。

6.パワハラの前提となる力関係の差
 法的責任を問えるか否かは別として、上司から受けた叱責等が業務指導の範囲内にあるか否かは、要約すると3つの事情を斟酌することになるといえる。第1に、当事者の関係性がどのようなものであったか、第2に、ひどい叱責に至った背景ないしは事情はどのようなものであったか、第3に、叱責の方法・様態である。
 まず、パワハラという言葉が、何らかの力関係の相違を背景として行われる嫌がらせであると想定される以上、加害者と被害者の間に、少なくとも当事者の主観において、権限、序列、年齢等に由来する力関係の差があったことが前提となろう。力関係が、組織の構成においてのみ通用する(会社の課長と平社員など)ものであるか、一般社会において誰もがその差を認める(年齢の大きな開きなど)ものであるかは問題ではなく、パワハラを受けたと主張する被害者が、加害者との関係性において威圧を受けたと感じることに一定の合理性が認められれば、パワハラを生じさせる関係性にあったと認められよう。例えば、会社の役職上は被害者の方が上位ないしは同位であるものの、大学時代の先輩にあたることから同人から嫌がらせを受けることになったといった場合においても、被害者の立場において、先輩であり配慮せざるを得なかったという事情に汲むべき点があれば、パワハラを受ける関係にあったとみられることとなろう。

7.強い叱責に至った経緯とその様態
 叱責に至った事情については、その目的がパワハラであると訴えている被害者のためを思ってなされた言動であるのか、強い叱責を行ってでも是正させる必要性ないしは緊急性が高かったのか、さらには、その言動が行われた時間(長時間に及んだか短時間であったか、就業時間中であったかそれ以外の時間帯であったか)、場所(例えば、他の職員の眼前であったか)は、叱責の原因となった行為との関係において適切であったかなどが、斟酌されることとなるであろう。叱責の方法・様態については、事情に関わらず、暴力を伴うものであれば法的責任は生じやすいと考えられ、また、暴言についても、職務と関連性のない人格への非難やプライバシーに関わることへの批判などが含まれていた場合には、同じく責任を問われやすくなると考えられる。ただし、これらのことも、業種、商習慣、会社規模などにおいて感覚に差が生じる場合(例えば、徒弟制度的な風習の残る業種である場合)もあり、一律な判断基準によって確定されるものではないと考えるべきである。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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