見出し画像

第11回 労働時間の概念に係る実務上の問題 ―サービス残業の判断基準―

1.労働時間の概念という問題
 何をもって労働時間というのか。いわゆる労働時間の概念という問題は、長きにわたって労働法上議論されてきたテーマの1つである。一定の知識がある方は、すでに、多くの裁判例も蓄積され、問題は解決されてきているのではないかと思われるであろう。確かに、タイム・レコーダーの打刻時刻、労働の準備行為や後片付けの性質や必要性、業務命令の有無、私的な事情の介在など、判断のメルクマールは裁判例により明確になってきていることは事実であるが、個別事件においては様々な要因が絡み、判断が難しくなるケースは少なからずある。

2.労働時間数の判断が重要である理由
 労働保険審査会で扱う事案において、労働時間数を算定し直す必要性のあるケースは、過労死や精神障害における業務起因性の判断である場合が多いが、給付基礎日額に係る不服においても、時間外労働時間数の再評価が必要となるケースがかなりの頻度で存在する。過労死及び精神障害の労災認定基準においては、労働時間数が一定の範囲を超えると業務上とみなされる可能性が高くなることとされており、時間数が同基準との関係において近接する場合には慎重な判断が必要となる。例えば、休憩時間とされていても10分間は仕事に従事していたと認定すると、20日間で200分(3時間20分)の時間外労働が発生することとなる。時間外労働時間数の積み上げをもって、認定基準と照らし合わせるという作業においては、同時間数はかなり大きな影響をもたらすこととなる。さらに、これが、1分もしくは1円であっても厳格に算定を行うこととされている給付基礎日額の計算の場合であれば、休業補償や遺族補償の給付額の算定には大きな影響をもたらすこととなる。

3.始業・終業時刻の判断が困難となる例
 近年は、タイム・レコーダーもしくはパソコンによって労働時間が管理されていることが多く、始業・終業時刻について問題になるようなことはないと思われるかもしれないが、こうしたケースにおいても、職場に到着もしくは帰宅に向かうどの段階で打刻ないしは入力されたものであるかが問題となる場合がある。会社の中には、事前準備のための仕事や掃除をさせておきながらシフトの時間になるまで打刻を遅らさせる、終業時刻になったら打刻させてその後残った仕事を処理するように指示する、などといったことを行わせているところがある。もちろん、こうした指示は違法なものであり、実際に仕事をしていたと考えられる時間をもって労働時間を算出することになるのであるが、実際にどの程度の頻度ないしは時間についてこうしたサービス残業をしていたかは本人も分からないことが多く、事実認定は難しいものとなる。さらに、事業主がこうした指示を明示的に行っていたとは判断できない場合、もしくは逆に、事業主は正確に打刻するよう指示していたにも関わらず、労働者が自らの仕事処理の不手際を隠すために打刻(入力)時間を改ざんしていた場合など、サービス残業をするに至る背景において様々な事情が認められることがあり、そもそもサービス残業と判断して良いのかという点に疑問が生じることもある。

4.厳格である事業主の労働時間管理義務
 労働時間管理は事業主の義務であり、仮に労働者が自らの判断ですすんで時間外労働をしていたとしても、事業主がこれを抑止する機会や手段がなかったというような特別な事情がない限り、当該事業主の責任は逃れられるものとはならない。したがって、労働者が自発的にサービス残業をしていたといったケースにおいても、原則として労働時間であるとみなされることとなろう。この点、労働者が、勝手に持ち帰り残業をした、休憩時間をとることなく仕事をしていた、休日出勤を申告しなかったなどといったことがあった場合も同じであり、こうした行動を禁止ないしは許可制にする、仕事に使用するパソコンの持ち出しを禁止するなど、抑止するための有効な手段を講じていたとみなされない限り、それらの時間は労働時間であると判断される可能性が高い。

5.労働者の判断に瑕疵がなければ基本的には労働時間である
 事業主の中には、時間外労働等を行う場合には許可を受けることとされているところ、許可を受けないで行ったものであるから労働時間とはみなすべきではないとの主張をすることがあるが、当該労働時間に係る時間外労働手当の支払いが必要となるか否かは、労働者がそうした労働をするに至った客観的事情を加味した判断になる可能性が高い。労災の認定等における労働の過重性判断でも、労働者が仕事をせざるを得ないと考えたことに大きな瑕疵がない限り、現に行った時間外労働等については、労働時間とみなされることになる。労働時間管理の懈怠は、特に飲食業や運輸業などにおいてよくみられるが、業務遂行にメリハリの少ないパソコンを使用した事務作業などにおいても度々生じるようである。労働時間の管理義務は、事業主にあり、その際にはほとんどの言い訳は通用しないものであることを知っておく必要がある。

6.在宅勤務や出張時における労働時間の把握
 多くの事務職従事者がパソコンを使用して業務を行うようになっている現在、ある労働者が業務を行っていたか否かは、そのログ記録を検証すれば明らかとなることが多い。ただし、自宅で時間外労働を行っていたというような場合、ログ記録の中に明らかに私用であると認められる痕跡が残っていると、どこまでの時間を労働であると判断するかは難しいこととなる。臨時的に私用が介在したに過ぎないとみなされる程度であれば、労働時間から除外されることはないと言えようが、ゲームや仕事に関係のないウェブの閲覧など、明らかに私的利用であると認められる場合には、それ以降の時間は労働時間ではないと判断される可能性が高い。その他、出張中の突然死や自殺などの事件においては、それまでに行った労働の過重性が問題となることが多いが、その際にはパソコンのログ記録が重要な証拠となる。出張中であっても、事業主の労働時間管理義務がなくなったわけではないことには注意を要する。

7.メール等による業務指示の時間は労働時間か
 業務そのものではなく、業務に関連する連絡・調整の時間について、労働時間といえるか否かも問題となることがある。近年、業務上の連絡はパソコンやスマホによるメールで行われることが多いが、例えば、夜中に送信されるメールについて、これに即応することを求められたとすると、その時間まで労働をしていたということになるのかといったことである。この点、さすがにメールで連絡を受ける時間までのすべてを労働時間であると言えないことは当然であろうが、例えば、メールの内容が単なる連絡調整を超えて、業務の内容に及んでおり、さらに一定の判断やその場で取引先との連絡・調整を求めるような実質を持つものであれば、メールのやり取りをした時間については、労働時間とみなされるべき場合もあろう。ご承知のとおり、「労働時間」とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている状態をいうものと考えられており、何らかの行動を期待する指示を行ったのであれば、その指示に従って行動した時間については労働時間としてみなされる可能性が高い。

8.職務に関連する学習は労働時間とみなされるのか?
 労働時間と考えるべきか否かが難しいケースとして、仕事に関連して行われる自己学習の時間がある。例えば、終業時刻が過ぎた後にも職場に残って勉強をしていたという場合、その時間は労働時間といえるかといった問題である。仕事をやっていく上で専門知識が要求されるという場合や会社として資格を持っている人材が必要である場合など、一見自己のための学習と見えるものが、実は会社業務と親和性を持つといったことは稀ではない。
 一方、自らの成長ないしは昇格のため、もしくは将来に備えて資格を取得しようとする目的であるといった場合もあり得えよう。この点、患者を抱える臨床医や看護師が知識の習得やスキルを磨くために勉強するといったケースや、裁量労働制の適用となっていない企業の研究員が技術開発のために基礎学習をするといったケースなど、判断が微妙なものとなる場合は少なくない。結論的には、労働者の年齢や習熟度、会社側の要求の有無、その時期に従事していた業務との関連性の度合いなど、個々のケースごとに判断していくしか方法はない。この点、本業のために自己学習した時間は労働時間とはみなされないにも関わらず、副業・兼業をして他社で働いた時間は、この度の法改正によって過重労働の判断において加算して評価することとされたが、個人的には大いに違和感を持っている。この点は、いずれ本マガジンにおいて意見を述べることとする。

ここから先は

0字
職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?