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「三浦春馬さん」の自殺について

 私自身は「三浦春馬さん」という芸能人を知っていたわけではない(妻はファンであったらしい)。しかし、若くして自殺されたという報道を受け、多くの若年労働者の自殺について、業務上の災害であるか否かを審理してきた者として、心穏やかでいられない気持ちになっている。報道によると、仕事は順調であったようであり、明確な自殺原因は今のところ明らかになっていないようであるが、遺書があったということなので、ご家族や関係者の方は、何らかの心当たりを持たれているかもしれない。

 若年労働者が自殺したというケースにおいては、仮に業務上の理由と考え得る要素が皆無であったとしても、心が痛むものであるが、労働時間の長さや置かれている職場環境において業務が原因になっているのではないかと感じさせる要素がある場合には、夢枕にも出てくるほど悩むことになる。正常な意識の元での覚悟の自殺なのか、それとも、業務が理由となって精神疾患に罹患していたのか。さらに、正常な精神状態ではなかったとして、その理由は、当該労働者の精神面での脆弱性にあるのか、それとも仕事や職場環境が生じさせた事態なのか。

 多くの人がそうであると思うが、歳を取ると、若い人の不安や失望を理解しにくくなる。「将来があるのに」といった漠然とした希望や「そんな些細なことで」といった批判めいた言葉を口にするのは、諦めを悟った年寄りの戯言であり、単に自分が不安であった時代を忘れてしまっているだけだと思う。不安を持つ人を理解するには、その人の年齢や環境等を「点」として把握するよう、精いっぱい想像力を働かせるしか方法はない。それは、「死」という結果を選んでしまった人に思いを馳せる場合も同じであろう。

 審査会の会長であった時代、他の委員や職員には、事あるごとに我々の仕事は「悩むこと」であると述べることとしていた。労働災害や失業といった不幸な状況になっている人に対して、人生を変えてしまうかもしれない保険適用等の判断をするのであり、それ自体重い仕事といえるが、若くして子供を失ったご両親においては、自分の子が「なぜ、死を選んだのか」という疑問に対して、1つの答えを提示する意味合いを持つことになるからである。

 もっとも、いかに悩み、また想像力を働かせても、亡くなった当人の気持ちを理解するには至らないことが多い。「遺書」がある場合、当人の本音が書いてあるのではないかと思われがちだが、必ずしもそうではない。自らの命を絶つ選択をする若者の中には、遺書を書く瞬間まで周りの人を気遣い、自らの死後についての心配をする人が少なくない。

「三浦春馬さん」が、なぜ死を選んでしまわれたのか。興味本位のいらぬ詮索だけはしないでほしいと思う。

 本マガジンでは、専門家向けではない内容については、こうした形で無料配信をしていきたいと考えている。

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