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第34回 労災認定における医学的因果関係をめぐる諸問題(1) -職業病についてー

1.労働災害の現状
 労働災害は近年減少傾向にあり、私傷病者数も大きく減っている。高度成長期には、年間6000人を超える死者数がいたが、近年は1000人を切るまでとなっている。危険有害業務が減っていることと、職場の安全衛生への意識や管理が整ってきた成果であると考えて良かろう。もっとも、死者数に比べると負傷・疾病者数は近年下げ止まっており、業種によっては増加傾向を示している。労働災害といえば、建設業や運輸交通業など、一定の危険を伴う職種をイメージすることが多かったが、こうした業種においては指名停止等の行政処分を恐れることもあって、安全への意識は格段に向上しており、災害数は目に見えて減少している。ところが、一見災害とは無縁に見える業種(第3次産業や保健衛生業)において労災申請件数が増えており、そのうち一定程度は認定されることになるため、上記のような傾向が生じているのである。こうした状況になる背景には、過重労働やストレス等を理由とする精神障害の発症を申立てる例が増えたことがあるが、最も有力な原因は高齢労働者の増加にあると考えられる。相対的に体力が劣り、既往症も多い高齢者においては、何らかの不調が生じると業務による影響であると考えやすい。

2.医学的判断の難しさ
 発生した死傷病が業務上の事由によるものであるか否かは、業務遂行中に業務に起因して発症したものであるかという法的な判断と、当該死傷病が業務によって惹起されたといえるかという医学的因果関係の判断によって決せられるものであるが、職業上、危険有害性を想定しにくい業務の場合や被災者が既往症を有している場合などにおいては、医学的な判断は難しいものとなる。例えば、腰痛や頚肩腕症候群のような作業関連疾患についてみると、X線撮影などによっても痛み等を生じさせる原因を見つけることができない場合は少なくなく、さらに、原因を見出せたとしても、当人の既往症の自然経過的悪化なのか、外的な要因が作用しているのかを判断することも難しい。事故的な要因が作用した事実が明確でない場合には、当人が従事していた職業とその従事暦を勘案して、業務上の災害であるか否かを判断するという、事実上、医学的な判断とは言えない結果に至りやすい。
 今回及び次回は、業務上外の判断に際して、医学的な因果関係にまつわるいくつかの問題を取り上げ、検討する。

3.炭鉱災害とじん肺の現状
 労働災害として、最も悲惨な結果をもたらしたのは炭鉱事故であろう。私自身、労働災害に興味を持ったのは、学生時代に発生した夕張炭鉱の事故であった。数百人の労働者が一度の事故で亡くなるという凄惨な事態は、恐ろしさを超えて憤りさえ覚えたことを未だに記憶している。その後、相次ぐ炭鉱の閉鎖によって大規模な災害は起こらなくなったが、坑内労働に係る労災問題は、今もなお、じん肺という形で残っている。日本では石炭掘削作業はかなり前にほぼ終焉していることから、石炭採掘に起因するじん肺症であるいわゆる黒肺症を訴える労働者はほとんどいない。しかし、じん肺は、坑内労働だけでなく、建設作業や道路補修作業等においても生じるものであり、様々な職種においてじん肺もしくはこれに起因する肺がん等を申立てる事件が発生している。

4.じん肺をめぐる医学的判断に残された問題
 じん肺それ自体の医学的な判断については、X線等による造影技術が進化した現在、大きな問題を生じることはない。労災認定についても、粉塵作業等に従事した履歴が明らかであれば、その重篤さに応じた管理区分に分類され、一定の補償を受けられる仕組みが整えられている。問題となるのは、肺がんもしくは間質性肺炎に至ってから、じん肺起因であるという訴えがなされた場合である。肺がんについては、じん肺から派生することが確認されているが、間質性肺炎については、医学的に異論を唱える声が少なくない。じん肺は、それ自体で死に至る病気ではないため、ほとんどの場合、死ぬ直前には誤嚥性肺炎等のその他の疾患を発症することとなる。長年じん肺症のために苦しむ被災労働者を目にしてきた家族は、当人が死に至れば、じん肺が原因であると考えたくなるのは理解できるが、労災による死亡であると認められるためには、じん肺自体が死因になっていなければならない。じん肺が死因であるか否かの医学的判断は、死に至る経過において自立呼吸がどの程度可能であったかについての数値(%肺活量や%一秒率〔量〕)を参照とすることになるが、同数値だけでは判断し難い場合もあり、当人の喫煙歴や生活習慣、既往症状やその他の疾患歴など、総合的な判断によって決することになることもある。

5.石綿起因の肺がんの判断基準
 石綿による健康被害の報告も、おおむね収束しつつあると言えるが、未だ年間相当数の労災申請が行われている。ご承知のとおり、石綿による健康被害が顕在化するのは、曝露後20年から40年といわれており、ほぼ完全な使用禁止となってから逆算しても、もうしばらくは被害の報告があるものと予想される。石綿規制に係る行政の対応は極めて鈍かったが、、労災認定に係る基準についても二転三転することとなった。石綿に起因する疾患としては、石綿肺、肺がん、中皮腫、びまん性胸膜肥厚などがあるが、労災認定の医学判断において最も困難になるのは肺がんである。その理由は、他の疾病と異なり、原因については喫煙他様々なものが考えられ、石綿に起因するものであるか否かの確定は、死亡後の解剖所見による石綿小体数等を認定基準に照らして判断するしかないが、すでに死体処理されている場合にはその数値を確かめる術がない。もちろん、X線等の検査によって石綿が肺全体に広がっているようなケースであれば、石綿起因の肺がんであると推認可能であるが、石綿粉塵が職場全体に漂うような場合でなければそうした量の曝露にはならない。少量の石綿によっても肺がんになるとの医学的な見解もあるが、その経緯を医学的に立証することは困難なようである。なお、胸膜プラークや胸膜肥厚の症状は重要な判断指標となるが、同状態であるか否かについての映像所見も医師によって見方が異なることが少なくない。

6.振動障害(白蝋病)を判断する検査をめぐる問題
 チェンソー等の振動工具を取り扱うことによって生じるとされる振動障害の訴えは、減少はしているものの、地域によっては今なお存在する。労働者が訴える症状が振動障害に該当するか否かの判断は、末しょう循環機能、末しょう神経機能、および運動機能の3つの検査と同疾病に特徴的な症状であるレイノー現象の存否によるものとされ、現在においてはかなり科学的に突き詰められたものとなっている。ところが、同症状を訴える患者数の減少に伴い、こうした検査を正確に行うことのできる医師が少なくなっており、同疾病であるとの労災申請を行う労働者は、ほぼ数名に絞られた医師による検査結果を持って申立てを行うこととなっている。それらの医師は数少ない専門医であり、その知見が高いことは疑いないが、検査が認定基準によって設定された客観的な環境下で行われているかについては、疑問なしとされない場合も散見される。そもそも上記3検査は、主観が作用しやすい部分があるとともに、検査環境を整えることも容易ではない。また、レイノー現象についても、常に症状が現れるものではないため、本人の自訴もしくは症状が現れた時の写真によるといったものになりやすく、確認が難しい。労災医等による再検査を求めても、これを拒否もしくはその際には症状が現れないということになると、振動障害であるとの確定診断は困難を極めることとなる。

7.専門医育成の必要性
 上記3つの職業病については、おそらく20年後にはほぼ消滅していると考えられるが、それ以前に高い知見を持つ専門医がいなくなり、正確な判断ができなくなる危険性がある。認定基準においては、いずれもそれぞれの職業に従事していた期間を判断のメルクマールにするとされているが、例えばそれが「10年」とされていると、同基準に縛られてしまうといったことが起こりやすい。「8年では発症しないのか」と問われると、おそらくそのようなことではなかろう。マイナーなものとなる分野においても、専門医を育成していくことは、労働災害補償制度を信頼あるものとして維持していくためには必須の課題である。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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