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第30回 通勤災害の認定判断をめぐる問題点 -詳細な判断基準の功罪-

1.通勤方法が多様な日本
 在宅勤務や時差通勤が増加していることもあり、都市部の通勤ラッシュはかなり緩和されていると聞く。おそらく、コロナ禍が落ち着くと、再び通勤地獄が始まるものと思われることから、ほんのひと時の現象に過ぎないのであろう。通勤中の災害を補償対象にするという動きは1970年代のILOの勧告に基づくものであり、日本のみならず、先進諸国においては同様の取り扱いがなされている。もっとも、私の知る限り、通勤の定義や認定基準について法や解釈例規において詳細に規定するような国はなく、多くの場合業務災害に準じるという取り扱いがなされているに過ぎない。通勤災害といえば、自家用車等による交通事故であることがほとんどである欧米諸国と比べ、日本の場合には通勤方法が様々であり、災害のバリエーションも多いという理由があるのかもしれない。

2.通勤災害の考え方と事情の変容
 ご承知のとおり、通勤災害と認められるためには、①就業に関する、②住居と勤務先との往復であり、③合理的な経路及び方法により、④途中に中断または逸脱がないことが条件となっている。そして、それぞれに、①就業に関連性があるといえるか否か、②住居や勤務先の定義、③合理的な経路や方法といえるか否か、④中断や逸脱の限界など、判断となるメルクマールが行政解釈や裁判例によって示されており、現在においてはかなり判断しやすい状況が整えられている。
 ところが、実際のケースにおいては、判断に迷うことが少なくなく、近年はそうしたケースが増えてきているように思われる。通勤災害といえるか否かが微妙なものとなるケースについては、過去の判断事案を参考にすることが多いのであるが、いずれのケースにも該当しないものや、過去の事案と同列に考えて良いかを迷うケースが多いのである。背景には、生活様式や働き方が変容している中で、判断の基礎となる社会通念も変わってきているのではないかとの思いがあった。今回は、通勤災害に該当するか否かの判断において、どのような問題が生じるのかについて、具体例を挙げながらいくつか例示することとする。

3.無許可の休日出勤途上における災害
 就業に関連しているか否かの判断に迷うケースの1つとして、業務命令のない休日出勤等の途上において、災害に遭ったという事案を考えてみる。仕事をするために会社に向かおうとしている以上、通勤災害とみなされるべきとの考えもあろうが、業務命令に基づく出勤でないことに注視すれば、仕事のために会社に赴いているとは言えず、業務に関連しているとは言えないとの考え方もあり得る。こうしたいわゆるサービス残業は、日本独特の問題であると言えようが、仕事が終わり切れず、業務命令に反してサービス残業をし、その帰路において災害に遭ったというものであれば、通勤災害であると判断することに異論はなかろう。本件のポイントは、休日出勤をする場合には、会社の様式に沿って届け出をし、承認を受けるべく定められていたにも関わらず、同手続きを踏むことなく出勤を行おうとした際に生じた事故であるという点にある。労働者における就業とは、明示もしくは黙示の業務命令に基づき労務に服することを言うものであり、一般的に命令に反する独自の行為については、就業とはみなされないこととなる。本件についていえば、休日出勤をしなければ業務をこなせないといった事情があったとすれば、黙示の業務命令があったとみることもできようが、急を要する事情がないにもかかわらず、会社に赴こうとしていたものであるとすれば、就業のための出勤とはみなされないことにならざるを得ない。もっとも、正式な届け出がなくとも会社に入ることができるようになっていた事情や本人が本当に会社に向かおうとしていたかなど、周辺の事実関係は、本件問題を考える際には極めて重要な要素となるであろう。自宅とは異なる場所で仕事をするテレワークが拡大しつつあるが、そこまでの往復は通勤であることを意識した、労働の日時管理をする必要がある。

4.会社飲み会後の帰路における事故
 就業に関連したといえるか否かは、終業後に行われた飲み会等からの帰途において生じた災害についても問題となるケースが多い。一般的には、飲酒を伴う宴会後の帰路については、通勤の中断・逸脱とみなされ、通勤災害とは判断されないこととなっているが、忘年会等、会社主催もしくはそれに準じる催しであり、その時間も短いものであれば、中断・逸脱の例外と判断される可能性はある。この点、実際の判断に際しては、当該宴会等の性格、被災した労働者が滞在した時間の長さ及び飲酒量、飲み会の場所から自宅までの経路、災害の内容など、様々な事情を総合的に勘案することになるため、どのような条件があれば中断・逸脱とみなされないのかの一般論を述べることは難しい。
 飲み会後、帰途につく途上で生じた事故として印象に残った事件に、2階建て電車の階段下に座っていたところ、階段を登ろうとして客が転げて被災者の頭上に落下し、頚椎に重傷を負うという事態になったというものがある(新聞等で報道済)。当該飲み会の性格や時間の長さから中断・逸脱に当たらないかも微妙なものであったが、特に問題となったのは、事故の発生機序があまりに特異であったため、通勤に伴う危険であるといえるのかという点にあった。天変地異に近いものであるとの見方もあったが、通常通勤に利用される列車内で起こった事故であったことと、結果の重大さも勘案して通勤災害と認める結論となった。

5.「お客様トラブル」は通勤災害か?
 通勤電車内での災害として、いわゆる「お客様トラブル」の事件も増えている。東京で通勤電車に乗っていると、飛び込み自殺と思われる人身事故によって電車が止まることが珍しくないが、同じくらいの頻度で乗客同士の喧嘩等による電車の停車も起きているように感じられた。ストレス社会の象徴的な出来事であると言えようが、怪我をするというような事態になると、損害賠償請求のほか、通勤災害といえるか否かという法的問題となる。喧嘩等については、通常、労働者同士や労働者とお客の間で起こった場合であっても業務災害とはみなされないが、電車内での暴力事件においても、被災労働者に全く非がなく、電車内で一方的に被害を受けたというような事情にない限り、通勤災害と判断されることはない。例えば、喧嘩の相手方から電車を降りろと言われ、降りようとした途中で転んだという場合や降りた駅構内で殴られたという場合でも、もはや通勤は中断されたという判断になる。
 もっとも、この種の事件については、警察が介入し、調書を取られているというようなケースでない限り、事実関係は被災労働者の申述に依拠することになるため、実際にどのような事情であったかを把握することは難しい。その他の証拠がない限り、被災労働者が最初に話した内容が真実に近いと考えて結論を出すことにしていたが、多くの場合、最初の段階では虚偽を述べることはなく、事実関係の把握において手違いはなかったものと考えている。

6.通勤の中断・逸脱、合理的な経路の考え方
 通勤の中断・逸脱については、判断が難しくなる例が多い。親の介護のために実家に寄って、その後通常の帰路に戻る前に事故に遭ったという事件において、裁判所が通勤災害であると認めるなど、従来の行政の考え方を超える判断をしたことや、通勤途上で購入しても中断とはみなされない「日常生活用品」の範囲の考え方が変化してきたことなどが影響しているといえる。中断の例として、会社からの帰路、駅前でたまたま友人に出会ったことから、2時間近く立ち話をした後、帰ろうとして事故に遭ってしまったという事件においては、帰社後、あまりに時間が経ち過ぎているため通勤災害と認めなかったことがあるが、どのくらいの時間までであれば中断とみなさないのかという問いがなされたら、答えに窮したと思う。合理的な経路であるかの例としては、朝の長い信号待ちを嫌がり、かなり離れた歩道橋に迂回して通勤しようとしたところ怪我をしたという事件について、合理性の判断が難しかったことから、労基署職員に実際に同時刻に同経路を歩いてもらい、合理的な経路であるかを確認したということがあった。逸脱の例として悩ましかった事件に、バイクでの帰路、ガソリンを入れる必要があったが、帰路上にあるスタンドは価格が高いため通り過ごし、帰路を行き過ぎたスタンドまで行ってガソリンを入れ、スタンドから出る際に車と衝突したというものがあった。価格の安いスタンドまで行くという行動は理解できるものの、帰路から逸脱してしまった場所での事故である以上、通勤災害とはみなされないものとならざるを得ない。
 通勤災害認定の実務においては、心情的に救済したくとも、細かい判断基準が設定されてしまっているため、他の事案とのバランスを考えると、救済できないというもどかしい思いをしたことが幾度となくあった。

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