うわ・き

「……これって、浮気?」
 彼はあはははと小声で笑い、まあ浮気だよとまた小声でささやいた。
「……悪いお父さんだね」
 部屋に明かりなどはない。窓から細く入ってくる自然光だけが唯一の心許ない明かり。細い光の線の中はたくさんの埃が見える。
 また同じホテル同じ部屋で同じベッドにいる。偶然なのか彼が意図してそうしているのかいつも同じ部屋でポイントがもう80ポイントくらい溜まっているし無料ドリンクもたまには違うものがいいのに『ホットチョコレート』を頼まれてしまう。ジンジャーエールとかコーラーとか。彼は生小を頼む。酒が弱いくせに。
 彼がわたしの首筋に舌を這わせながら胸を優しく撫でる。その手は徐々に腰からお尻に移動し全身をなぞられて体じゅうに熱を帯び猛烈に悲鳴をあげる。息が、酒臭い。
 最初は川の字に並んでいるけれどことが済むと必ず360度回転している。どんだけの格好をしているのかと思うけれどそんなことなどはなくおもて・うら・おもて・うら・おもてという手順を踏むと自動的に360度回転する形になる。なるほど。昔の回転ベッドが360度回るのは納得できる。
「なぁ、」
 今日は久しぶりに射精した。いや射精してくれた。別に精子が出るか出ないかなど行為自体には関係はない。ただ、あって抱き合えばいい。というのはそう決め込んでいるだけでやはり射精をしてくれると嬉しい。関係してから7年。いくら不倫とはいえ長過ぎる時間。慣れてしまえば飽きもくる。
 グチャグチャに乱れたベッドの上で死んだよう並んで寝そべっている。ややして声がし、はい。と返事をする。
 はいって、と彼は苦笑し、さっきなと話を続ける。
「牛丼屋にいってさ、隣のおじいさんがさ牛丼屋にいるのに『何を食えばいいだ』って店員に聞いてたんだよな。若い、バイトかなぁ。あれ。兄ちゃんがとても困ってたよ。っか笑ってた」
 暖房がブゥーンと唸る。急に暖気が部屋に飛び回る。
 ウケるぅ。わたしはケラケラと大声で笑う。いつも面白いネタをありがとうというと、特に普通に生活をしているだけだと真顔でいう。
「牛丼屋で盛りそばっすかね? とかいったらさ、笑えるな」
 彼はそういいクスクスと笑ったからわたしもそうだねといい笑う。
 急に無言になる。喋ることがない。無言という過酷な苦行。体を重ねているときだけ無言が許される。
「……いつまで」
「え?」
 隣にいる彼の気配が徐々に薄くなっていく。消えていきそうないかないような。
「こんな関係で。こんな中途半端な関係で。裏切って。たくさんの人を。裏切って。快楽だけで。あって。不毛なことをして……」
 声が切なげに嘘くさく震えている。寒くもないのに体が震えて足の先が冷たくなってゆく。彼は黙っている。
「……そうだな」
 何分かして声がしわたしの体を引き寄せた。そして両手を持ち上げて拘束し唇を唇で塞いだ。ううぅ。声が出せない。息も出来ない。わたしは懸命に抵抗し彼の唇を噛んだ。
「痛って」
 唇を離して手でその痛をを部分を触る。けれどそれだけで特に怒りの態度は示さなかった。口の中で鉄の味がしそれが血の味だとわかるのにやや時間を要した。彼の血液がわたしの体内に入ってくる。彼はA型だ。わたしはО型なのでA型の血液が多少入っても死なないなとふいに思う。けれど彼の体液はいつもわたしの中に否応なしに入ってくる。体液が入っても死なない。違う血液型だと死ぬのに。とても不思議でならない。О型だけは他の血液型の人に血を分けれるけれどО型だけはどれもだめでО型だけしかうけつけないのもまた不思議だなあと思う。
「……お前次第。いつも同じことをいわせるなよ……」
 またかよという声をだしついでにため息をはく。わかってる。わたし次第だなんて。ズルいよ。とはいえない。わたしは彼に何を求めどうしてほしいのだろう。離婚して欲しいわけでもないし一緒に暮らして欲しいわけでもない。抱き合っていたいだけ? 独占したい? 殺して欲しい? 殺して欲しい。そうかもしれない。好きな男と抱き合っているときに殺される。どうせ死ぬのならそうされたい。決してかなわないことだけれど。
「最近ハイボールばっかり飲んでるけどちっとも酔わないよ」
 話題を切り替える。空気が穏便に動くのがわかる。
「へえ。ビールは? 飲まないの?」
 ん? うん。彼がわたしから離れて自分の頭に自分の腕を乗せ枕代わりにする。
「ビールさ、腹が出るから。やめてるんだ」
「そうかなぁ? わたしいつも飲んでるけどね。特に腹は出ないよ」 
 女は出ないのかなと彼はわたしのお腹を触る。赤ちゃんはいないよといいふふふと笑う。
「おつまみ次第じゃないのかな。ほら、お酒飲むと食欲増すでしょ? だからビールは太るとかいうんじゃないの?」
 わたしはビールを飲むと何も食べたくない人でおつまみは要らないのだ。
「そうかもしれないな」
 お腹から手をどけてまた腕枕にし天井をみつめる彼がぼそっとつぶやく。なんだかもうなにもかもどうでもよかった。このまま時間が止まればいいのに。いつも思うことをまた思う。同じホテルの同じ部屋の同じベッドで。
「たまにケンタッキー食べたくなるよね」
 そうかぁ? 彼の声は笑っていた。他愛ない会話こそが彼が一番望むことであり逃げる道なのだ。わたしの存在など取るに足らない存在なのだ。別にいなくなっても他を探せばいい。そんな風に。
 部屋から入っていた細い光はもう入ってこない。もうおもては暗くなっているのかもしれないし太陽が消滅をしたかもしれないし世界が全て崩壊しわたしと彼だけの世界になっているかもしれない。もしそうであったのなら、わたしは泣いて喜ぶに違いない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?