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飢餓

「きたよ」
 夕方6時ちょっと過ぎ。車の中で本日最後の取り組みを観たあと(直人のうちに上がる前に制限時間いっぱいになり車内で観ていた)ガチャと玄関のドアをあけ音を立てずにそっと中に入る。まずテーブルをみてから布団をみやる。そして台所。
 キョロキョロと2度だけ目をまわすと直人がテーブルの下で鉄砲で撃たれたクマのように横たわっていた。
 電気は『団らんモード』の設定になっており、暖房はさほど寒くもないのに30度だった。
「……、あ、あ、」
 顔を直人の顔の近くにズームアップし、きたよと小声でいい起こす。あ、あ、という声とともに充血をした白目がみえる。きたのか。そうか。寝ぼけているのかそのようなことを口にし、またソファーにもたれて目をつぶってしまった。
 直人とは別れたつもりだったけれど、つもりだったようでそうそう簡単に習慣から抜け出せないようにダラダラとあっている。『そういった関係だけでもいいの』そういった男にとってはしかし都合のいい女のようなことを口にしたから『うん。わかった』となり元さやに戻ったのだ。
「なおちゃん、相撲みてなかったんだねぇ……」
 目をつぶっている直人に問いかけるのではなくあくまでひとりごとのような口ぶりでテレビを観ている。バンキシャがやっている。直人はなぜかバンキシャが始まると、明日、仕事っていちばん感じる瞬間だと毎回そうこぼす。小学生のころ、サザエさんが始まると、ああ明日からまた学校か。日曜日がおわちゃうよぅ。と悲しくなってしまった感覚に似てるかもね。わたしがそういうと、直人はぱあっと目をみひらいて、大きくうなずいたのだった。
「みてなかった……」
「え。起きてたんだ」
 細い目をさらに細めもはや糸のようになった目をしてこたえた。あのね、わたしはだから相撲の結果をちくいち報告し、ついでに、今日のゴルフどうだったのとつづけ、天野兄弟はきたのかとさらに重ね、しらさわさんの体調はいかがですかともきいた。
 相撲の結果に関しての感想は、へーだけで。ゴルフにまつわることでいうと、今日はスコアがわりあいよかったですといい、天野兄弟の弟だけが親父と参加したらしくしらさわさんは元気そうだけれど顔色が土色だったとまるで教科書でも読んでいるかのようにたんたんと話した。
「しょうくんがいちばんだったよ」
 10分後くらいたってからなにかをおもいだしたかのようにつぶやく。
「あー、弟のほうね」
「うん。弟のほう」
 会話がいつも途切れがちでけれどいつものこの感覚は別に嫌ではない。直人は寡黙だ。
 天野兄弟の親父さんは鉄工所を経営しており、求人広告が入っていたよというと
「そうそう。いま絶賛パート募集中なんだってさ。俺んとこもいつも人手不足なんだけど」
「そんなに従業員さんいないの?」
 いないんだよねー、とため息を吐き、いてもろくなのがいないしさ、つけ足す。
「いつもいってんね。ろくなのがいないって」
「だってほんとうなんだもん」
「『なな」なのはいるの?」
 冗談でいったので冗談で返してくれると踏んでいたわたしはわたしの愚かさをしる。直人にはそのような冗談は通用などしないのだった。
「ええ? な、ななってなに?」
「なんでもない」
 また沈黙がおりわたしは直人に寄りかかる。いつまでたっても好きだなっておもわせてくれる直人に感謝をしないとならない。こういった気持ちになること。こういった気持ちにさせてくれることは至極素晴らしいことなのだ。と別れて数日間ずっとおもっていた。だからもうこのままでいいのだ。好きだけでいいじゃないか。と。
 時計をみたらもう9時を回っていて、帰るというと手をつかまれ裸にされそういった行為をすることになったけれど酒の飲み過ぎにより中途半端に終わり、息が切れて死にかけつつ息を吹きかえす。
「だからいったこっちゃない」
 そういった行為の前に電気を保安灯にしておいた。暗い部屋の中にぼんやりと浮かぶテレビの明かり。電気を消しても十分にテレビだけでも明るいなとおもう。
「いったこっちゃない」
 直人が同じことをいい、はははと笑う。
「そう。いったこっちゃない」
 わたしの声も笑いをぞんぶんに含んでいた。
 背後から抱きしめられ耳をさわってくる。そして今度はおへそ。
「だから、へそはだめ。力が抜けるから。もう」
 こらっ、といいつつまた笑う。
「フーちゃんの急所だ」
「そうだよ。しってるくせに。いじわるいって」
 振り向き直人の唇を塞ぎ、長ーいキスをした。
「ながっ」
 よだれを垂らしながら直人がながっ苦しいと文句を垂れる。直人はキスが不得意なのだ。出会ったころ、このひとキス下手だなという感想を持ったのでうまくなるように仕込んだのはわたしだ。
「してもしても足りないよ」
 どうしてこんなにも好きなのにバラバラにいるのかがたまにわからなくなる。別に帰らなくてもいいといえばいいのに、帰ったほうがいいのかとおもうところがあり帰っている。泊まっても泊まらないでも何日いてもきっと直人はなにもいわないし訊かないだろう。そんなことはわかっている。
「なおちゃんに飢えてるの」
 ふふふと不気味な笑いを向けると、あーこわいこわいというふうに毛布を頭からかぶってしまった。
「飢えてるの」
 裸のまま、こうやって正座してわがままをいい、泣きそうになりながらもこの状況をわたしはとても愉しんでいる。この世でいちばん不幸であるかのように。

 お腹が減っていた。帰る道中にセブンイレブンがあり、停まって肉まんと缶のコーンスープと塩せんべいを買う。代車のプリウスは快調すぎて車の運転が好きになっている。ふふふんとテイラーを爆音で流し肉まんをほおばりながら運転するわたしはやっと『飢餓』状態からかろうじて脱出をしたのだった。

※公募ガイドさんで佳作に。わーい。



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