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たいふうの日

 台風が来るとなると幼い頃からとてもワクワクした。学生の頃は台風のおかげ? で学校がお休みになろうものなら手をあげて台風さんありがとうと賞賛をした。まあ単純に学校が休みになるという学生あるある的なことで台風が好きだったのだろう。しかし大人になった今では全く別の種類のワクワクがある。台風が来るとなればうちから出ない方がいいのだろうし、うちにいてもおもてに出かけないとならない使命感も自動的になくなる。
「明日さ、台風直撃だってさ」
 ちょうど土曜日に上陸予定なので彼にそうつたえる。天気予報を一緒にみているのでわかってるはずだけれど。
「なんかワクワクしない」とゆかいそうに付け足す。
 べつに。彼の返事は悲しいほどみじかかった。会社の雨漏りが心配だよ。と続ける。今年はやけに台風がくるなぁ。とも。
「うん」
 あたしはうなずいた。週末だけしか一緒にいる時間がない。平日の夜など帰りが遅いので(共働き)さっさとご飯を済ませシャワーをし眠る。会話らしい会話もなくただ流れるよう時間だけがすぎてゆく。
「明日は思い切り寝坊をしようじゃないか」
 テレビに向かってそういった彼はすでに眠たげなまなざしをしていた。
「ナイス。素敵」
 彼はあたしの方を向いてニタリと笑った。いつも遅くまで寝てるくせにさ。とでもいいたげな顔をながら。はたしてあたしはお休みの日はいつも昼過ぎまで眠っている。その間に彼はモーニング(喫茶店ではない早朝ゴルフの打ちっ放し)にいき、スポーツクラブにいき、洗濯を回し干して、昼ごはんを用意する。その頃やっとあたしが起きてくるから彼が一仕事して空腹なのはとても納得できるけれどあたしに至っては寝起きなわけでけれどアジフライとかシュウマイとかが食卓に並んでいていつもぎょっとなる。
「食べるよね」食べたくないなんていえないのでいつもまだ胃が稼働をしていないのにご飯とおかずを食べるはめになる。低血圧はいつまでたっても治る気配はない。塩辛いものを過剰摂取しても。だ。
「雨戸閉めといたほうがいいかな」パンツ一丁のまま立ち上がり彼は窓をあけガラガラと雨戸を閉めだす。台風前にある独特の生ぬるい風が部屋の中に入ってくる。音に例えるなら『むわん』という音。冷房の冷気と入れ替わり入ってきた『むわん』はまたあたしの心をまたしてもワクワクさせた。
 さて寝るか。午前0時前。あたしはその言葉にドキドキしてしまう。いつも一緒に眠っているのに。彼はいつまでたってもあたしをドキドキさせる。
 きっと布団の中に入ったらお互いのてのひらを絡ませるだろう。そのあとは。なにもないけれど。
 雨戸を閉めた部屋の中は一気に静寂と暗闇に包まれる。あまりにも静かすぎていて呼吸をするのもためらってしまうほどに。
 ねぇ、今世界中にあたしとあなたしかいないのよ。それもまた素敵じゃない? あたしの心の声など彼には届かない。それでも大声でいいたい衝動にかられる。遠足の前の子どもみたいに台風の上陸をワクワクしながら待っているなんて。
「どうした? なんで笑ってんの?」
 あたしはついついクスクスと笑いだしてしまう。彼はやっぱりあたしの手のひらに手のひらを絡ませる。

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