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わたしの顔 2

「あれ? なんか顔、変わった? 浮腫んでるのかな? ってゆうか泣いた? あ、いいよ。別に話したくなければさ……」
 薄暗い照明の薄暗い部屋で薄ぼやけた顔をした男の顔がわたしをじっと見つめ続けている。いつもよりも3割増くらいで照明は落としてある。わたしはうつむきながら重たい扉を開くように口を開く。めんどくさそうに。
「……そ、そうですかぁ? そうみえますか? じゃあ、そうなんですよ。きっと……」
 なにがどう、そうなんですよか意味がわからないとでもいいたげな目の前にいる薄ぼやけた男はまだ訝しげにわたしを見つめ、ううんと唸っている。
 休めば、よかったのかもしれない。いや、休むべきだったのだ。もう3人のお客さんにいわれているし、3人が3人とも同じ位置を指摘している。そうとうなんだとおもう。わたしの顔はひどく様変わりをはたしているに違いないという事実に。
 タイマーが鳴り、お客さんはじゃあシャワーしようよと立ち上がる。些細なことが気になってもそうなければいけないように精子はきちん決められたように出るから頭と下半身は全く別物だとあらためておもう
 部屋にある内線電話の受話器をあげ
『お客さま、お帰りです〜』
 間延びであり、気が抜けた声で電話をする。
『は〜い』
 しかしそれ以上に気の抜けた声でこたえるフロントのおじさんの声がいちいち苛立った。は〜いってなんだ、は〜いって。わたしは軽くチッと舌打ちをした。
 お客さんよりも先に部屋から出て見送らないといけないからお客さんの前に立つ。
「……あまり、無理しないでね……」
 背後から声がし、背中をそうっとさすられた。さっきまでわたしのあちこちを弄っていた手は存外大きく、そして温かった。いや、元気ですって、と振りかえずにいいながら肩をすくめた。そっか、お客さんはそういい、また来るねと常套句をいい、じゃあねと去っていった。
 顔が、ますます動かなくなったような気がして部屋に掛けてある20センチ角の鏡に目を向ける。部屋が奇妙に暗いことに気がつき明るくしもう一度鏡に目を向ける。無表情でまるでお面を被っているようだった。めまいがし、その場にうずくまる。吐き気もするし、あと、2時間は勤務だったけれど帰ることにし、フロントのおじさんに内線電話をかける。体調が悪くて……。そういった旨を話すと、なんで電話なの? と笑い、もう上がっていいよと今度は笑ってない声でいわれた。今日わたしが使っている部屋はフロントの隣の部屋なのだ。
 部屋から出て奥にある待機場所に行き着替えを取りに行く。そのあと使っていた部屋のシャワー室の水分を全部拭き、ベッドに敷いてあるバスタオルを剥ぎ取り、ゴミ箱の中の紙袋を縛り、新しいゴミ袋に変える。終わって着替え、マスクをしメガネを掛けて明らかに体調が悪そうな雰囲気でフロントのおじさんのところに行く。おじさんはいつも誰かと電話で喋っている。彼女がサァ、と気取ったことをこの前いっていたことを思い出す。おじさんの彼女? おじさんは多分60代だとおもうけれど彼女っていったい何歳くらいなんだろう、と急にそんなくだらないことが脳裏に浮かぶ。
「大丈夫?」
 お給料を渡されるとき心配の声をかけられる。わたしは、はい、なんとか、と真顔でいい、とゆうか表情があまり動かないのでどうしても真顔になってしまう。
「暇でごめんね」
 いえいえ、そんな、わたしは腰を折る。暇だとなぜかおじさんが謝る。暇なのは絶対におじさんのせいではないのに。わたしはますます途方に暮れる。
 次回はまた連絡しますといい、お疲れさまですといい、階段を降りた。まだ、空がほんのりと明るく、夜の準備を始め出しているかのようだった。たくさんの人が、駅に向かって歩いている。誰もわたしの顔になど気にもしていない。そんなに急いでどこに行くの? わたしは心の中でつぶやきながらニタニタと笑う。

 1週間ほど前、軽い気持ちで、ボトックスの注射を顔に打った。打ったのはいいが、ボトックスは顔の表情筋を止めシワなどをなくすということで、だから目は一重になり、目つきがひどく悪くなり、うまく笑えなくなり、頭が痛み、なにせ顔中に麻酔がかかっている状態なのだ。向こう3ヶ月ほどで効果が徐々に切れるまでこんな感じらしく、嘘でしょ? とクリニックに抗議をしたところでもうどうこう出来ない。顔がもうなんというかやる気がなく、能面のようだし、いつも頭が痛い。おもてに出ることがつらい。いっそ死んでしまおうかと脳内の中でもうひとりのわたしがささやき、けれど、待てよともうひとりのわたしが、食い止める。電車に飛び込むのだけはやめてよね。いやに冷静なことをいうのはわたしで、そうだねと納得するのもわたしだし、結局わたししかいなく、誰も助けてなどはくれないとおもい、ファミマで今年最後になるかもしれない肉まんを買い、カフェラテを買った。

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