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ヤルキスイッチ

 また緊急事態宣言が出た。緊急事態なのは俺の体。修一さんは苦笑いを浮かべつつアイコスを吸う。
「なにそれ?」
 いわゆる真っ赤なラブソファーというやつに並んで座っている。修一さんの気配が左からただよう。ああもうなんでこんなにも好きなのだろうかとその横顔を眺めながら、おもっている。
「なにそれだよな。そうだな。なんというか『五月病』って職人にいわれたんだ。やる気が出ないし怠いし仕事したくないよっていったら、それまさに『五月病』だよ。監督よぅ〜、って」
「……ご、ごがつびょう?」
「そう、『五月病』」
 やだぁ〜、わたしだったらさ、年中五月病じゃん、といい大げさではなく大笑いする。いつもやる気はないし怠いし仕事もしたくないしで。当てはまっている項目ばかり。
 お前だけだと笑いながら修一さんがいい、下半身だけは怠けてないなと余分なけれど本当のことを付け加える。
「へへへ」わたしは肩をすくめて笑う。それを横目で見ていた修一さんの顔に、きもっという吹き出しが見えた。うん。確かに、気持ち悪いかもしれない。
「五月ってさ、急に暑くなったり寒くなったりと天候とかが情緒不安定でしょ? だから人間も一緒。情緒不安定になるんだよ。多分。それに、こんなご時世だし」
 部屋の窓が開いており、ちょうどいい温度の風がわたしと修一さんの体を優しく包み込む。
「まあかなり良くなったけどな……」
 そこで一旦言葉を切り、はーっと息を吐いてから、そんなこといってられないしなとつづける。
「飲みにも行けないしね。余計にそうなるのかな」
「元請の会社にいわれるよ。飲みに行ってはダメ、昼飯もなるべくコンビニで買って車で食べるとかなんとかさ」
 大変だねといおうとしてやめる。あたりまえなことだからだ。今、誰だってそうに違いない。他人事ではない。はっきりいってもううんざり。こんな生活は。と大声でいいたい。大好きな旅行にも行けない。昼の仕事も退職になった。誰も責めれないところが、つらい。
「けれど、こういっちゃーなんだけど、修一さんによく会うようになってそれだけはわたし、正直に嬉しいかも」
 あっ、つい本音が口から飛び出てしまいいわなきゃよかったよとすぐに後悔をする。横をおそるおそる見る。目が合わさり、修一さんは黙っている。視線がわたしのピアスに流れ、口を開きかけけれどまた閉じる。
「なあんてね。うそ、うそ」
 嘘ではない。本当に会える時間が増えた。修一さんは現場、コンビニ、うち、そしてわたし以外とは接触がない。
 ややしてからやっとという感じで修一さんの口が動く。
「そうだな。こうゆう状況でこうやって会えるのだけでも息抜きになるかもな。まあ嫁さんに見つかれば殺されるけど」
「殺されるって、誰が?」
 語尾が、大げさにあがる。裏返ってしまい修一さんは笑いながら
「お前」
 ケラケラ。
 冗談でしょ? わたしも笑う。
「いや、マジ。嫁さんが、つい最近いってたし」
 今度は真顔でこたえる。つい最近って? なにそれ? わたしは詰め寄る。
「あ、なんでもないわ。忘れて」
 もしかして奥さん、気がついてる? けれどわたしはもう気がつきたくない。知らないふりをする。もう、失いたくない。奥さんはいつも修一さんの影に隠れている。正直こわい。奥さんではなくて修一さんを失うことが。
「シャワーしてくる」
 明るい部屋の中の空気が動く。わたしが立ち上がったからなのか雰囲気が変わったのかそれはわからない。今、必要なのは、言葉ではなくてベッドの上。わたしは急いで浴室に消える。

「そういえばさ、この前、るろうに剣心観に行ったよ」
「えっ? いつ? またやってんの?」

 行為が終わり、ピロートークに入る。なんというか、もうこの人なしではダメなレベルになっているほど、気持ちがいい。いい意味でこの人はわたしをほとんどダメにしてしまう。いい意味でろくでなしだ。
「佐藤健ってさ、仮面ライダーだったこと知ってる?」
「知らない」
 本当に知らないのでそうこたえる。
「え? 知らないの?」
「え? 逆になんでそんなこと知ってんの?」
 芸能界に疎い修一さんだしで疑問をぶつける。
「だって、」
 のあとの言葉はこうつづいた。ゆうきがさ、子どものころ一緒になって日曜の朝、観てたんだよ。仮面ライダーを。そのあとのなんていう人だったかなぁ? せ、なんとか、せ、と? だっけか? その仮面ライダーも観てた。
 へー。わたしはうなずく。じゃあ、竹内涼真は? 仮面ライダーでしょ? と訊くと、そのときはもうゆうきはおとなになり観ていないという。
「俺も、時間あれば観に行きたいけどなぁ」
 最後はそう締めくくった。
「変身!」
 ガバッと布団から出て裸で修一さんの前に飛び出る。
「わ、びっくりしたし」
 全然びっくりしていない声で嘘をつく。優しい嘘だ。変身できるならわたし絶対に修一さんの奥さんになりたいとおもい、けれどやっぱりこのままでいいなともおもい、猫になってもいいなとおもい
「わたしは現場監督に変身しました」
 ヘルメットを被るフリをしながらそういい笑う。
「おおう。それはいい。俺の分もよろしく。監督」
「じゃあ、修一さんは下請けでいい?」
 シーツはそれこそ乱れていたし、わたしの髪の毛はぐちゃぐちゃだしでなんだかどうでもよくなってしまいわたしは裸のまままた修一さんを押し倒して唇を奪った。
「ここにあったよ。やる気スイッチ!」
 舌と舌を絡ませたあとでよだれが垂れたままでそう言葉を落とした。

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