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『2回目接種完了』
 30日に修一さんからメールがくる。
 2回目の集団接種だ。打つとはきいてはいたけれどそれがいつなのかはきいてはいなかった。
『そうなんだね』
 いつもならそのような返信を返すけれど、メールのが届いた時間が18時といういやに半端な時間だったため、自宅にいたらまずいなとおもい返信をためらいそしてやめた。
 こうゆうとき気軽にメールおよび電話はできない。修一さんがビジネスホテルに泊まっているとわかっていたらメールはできるけれどワクチンを接種した日にビジネスホテルにいるなんてことは100パーセントあるわけがない。
 気軽に連絡できる相手ではないことは頭ではわかってはいる。しかし心はまだわがままで自宅にいる修一さんを想像すると胸にまち針が刺さったようにちくっと痛む。針刺にでもなった気分だった。

 それから4日後。
『いまから現場出る。あえないか』
 結局わたしはあくる日も返信をしなかった。忘れていたわけではない。なんとなくしなかったのだ。
『うん。いいよ。注射どうだったの?』
 いまさらかとおもったけれどそう打つ。
 現場事務所にいるだろうか。まるでチャットのようにすぐに返事が返ってきた。
『翌日で38.5+関節痛+倦怠感 噂通りの症状』
 噂通り。その単語についくすっと笑ってしまう。
『もう大丈夫なの?』
『大丈夫じゃなっかたらメールはしない』
 それもそうだ。けれど大丈夫ではないのはその実、わたしの方だった。長引く生理で血がダーダー。とはメールには書かなかった。
 とにかく顔がみたかった。他愛ない話をしたかった。それだけでよかったのだ。 
 16時半にいつもの待ち合わせ場所にいくとまだ修一さんきていなかった。車の中で文庫本を読んでいた。
 このドラックストアはいつも駐車場が密状態になっていて車もマスクをした方がいいかもしれないなと窓の外に一瞥をし、また文庫本に目を落とした瞬間、視界に黒いひと影がぱっとうつりこみ、顔をあげるとそこに修一さんが手招きをしていた。車を停めるところがないから早くこい。いわんとしていることが手にとるようにわかった。文庫本に栞を挟み、助手席に置いてその変わりトートバックを持って車から降りる。
 夕方の空は雲がたちこめており、秋の気配をかもしだしていた。遠くでカラスが鳴いている。
「待たせてごめん」
 助手席に乗った途端いわれて、ああ、ううんと肩をすくめ、わたしもいまさっききたぶんだよとつけ加える。ほんとうは20分も前から来ていた。待つのは好き。待たすよりも。
「なんだか痩せたみたい」
 運転している修一さんの横顔がほっそりしてみえ、長袖シャツからのぞく腕も幾分華奢にみえた。
「熱が出たせいで?」
 修一さんがなにかいいそうになる前に先にわたしが切り出してしまった。
「痩せてない……、とおもうけどなぁ。わからないよ」
 ハンドルを握る手をみただけで鳥肌がたった。あの指がわたしの体に触れる。そうおもうだけでどうにかなりそうになる。
「裸になればわかるよ。なんて」
 はいはい。彼の目は笑っていた。
「そうそうわたし女の日なんだけど」
 なんだそんなことかという感じで、で? という顔をしたままホテルの暖簾をくぐった。
「コメダでもいく」
 部屋に入る前にそうきいてみると、無理だよまずいと即答で返ってきた。どうしたって密室以外にいきつくところなどないのだとあらためておもった。

 ウイルスの世界になる前はそこそこ居酒屋とか焼肉屋とかは一緒にいっていた。もうひとりひろくんという修一さんが雇っている現場監督さんとも。何度か食事にいったりもした。
 ウイルスの世界はそうゆう娯楽さえも奪った。制限される毎日。気が気でない空気感。世の中の不倫カップルの大半は別れてしまったかもしれない。おもてに出て『ちょっと飲み会』とか『出張で』とかそういういいわけができなくなったからだ。

「まだ、本調子じゃないんだよな」
 部屋に入るなりそういい明るすぎる部屋の隅にあるソファーに座る。
「どんなふうに?」
 語尾あがりに質問をする。修一さんは黒い長袖Tシャツと紺の作業ズボンをきている。
「ふら〜ってする」
 このー。いい男すぎる。と顔をみいる。
「え?」
 大丈夫なの? と顔をまじまじと覗き込むとなぜか修一さんの耳朶がほんのりと朱がさした。
「こらこら。あんまりみるなよ」
「なんで?」
 なんでって、と修一さんは口ごもり、アイコスをセットし始めた。
「そうそう、噂通りに熱がでてさ、もう寒いんだよね。体が。こんな夏なのにさ。部屋は暑いんだけれど、体が寒いから冷房をつけて長袖をきて寝たよ。てゆうかん熱がでた日は一睡もできずだったから現場にはいけなかったんだよ。こんなこと初めて」
「えー。そんなにひどかったの?」
「そう」
 食欲もなくて熱がでてからというものまともに食べてないという。奥さんは? 一緒に打ったんでしょ? 打ったよ。打ったけど元気だよ。
 あまり聞きたくないことなのにさらっとこたえてしまう彼をたまに殺したくなってしまう。あるいは奥さんを。
「どうする?」
 話すことが一通りしたところでシーンとなり、修一さんが立ち上がり、どうする? と質問の形をとる。
「どうするって?」
 真顔でこたえたので彼もまた真顔で
「するのかってことだ」
 ちょっと笑いつつ口を開く。
「あーあ。してもしなくてもいいけど。抱き合いたい」
「了解」
 修一さんは洗面所に消えていった。シャワーの音。わたしは急に恥ずかしくなる。
 抱き合いたい。といった。なんだろう。抱き合いたいって。裸で抱き合うことだけが全てではない。けれど今度いつあえるかわからない。ただ肌と肌を重ねたい。これはもはや行為よりも羞恥心を煽った。

 部屋を真っ暗にし裸で抱き合う。背中に彼の手のひらが上下し撫ぜる。ゆっくりと。そして何度も濃厚接触をしあい、ときに笑いながらくすぐりあい手を握ったままで目を閉じた。
『別にね、わたしはこうゆうのでいいの。しないでも』
『は? 俺はいやだけど』
 修一さんは笑っていた。
 いつまでこんなことがつづくのだろう。終わりがくることがこわくてこわくてわたしだけは真っ暗の部屋の天井と睨みあい、みつめあっていた。彼の規則正しい寝息が余計にわたしを孤独に憂鬱にさせる。

「そういえば、今度の現場さ、ケンタッキーとやっぱりステーキなんだよ」
「え? いきなりステーキじゃなくて?」
 うん。やっぱりステーキだよと再度いう。
「いきなりをもじって、やっぱりみたい」
「へー」
 ケンタッキーや、スタバ、ローソンやセブンイレブンなどはあらかじめ図面があり施工だけ関わるので比較的楽だと話す。
「いつから?」
「来月かな」
 そっか。
 修一さんが監督をした建物はそこら中にあり、そのたびにすごいなぁとおもうけれど、本人にしてみるとそんなのはどうでもよくて先ばかりみている。未来を。
「やっぱりステーキいってみたいな。いきなりステーキもいったことないもん」
「俺だってないし。さわやかは以前やったところで食べたけど」
「ゲンコツでしょ?」
「そうそう」
 ふふふ。わたしと修一さんはうすら笑いを浮かべる。もうおもても真っ暗だった。
「あれ? もうこんなに暗い」
 星がでていた。比較的大きな星。
「だってもう9月だもの」
 わたしは星をみあげながらつぶやく。
 むわんとした空気はもう感じられなくてただ秋の空気がふたりの体に巻きついた。
「じゃあ」
「うん」
 助手席から降りて空を見上げる。ほんとうに大きな星だった。輝きが他とは違っっていた。 
 手を伸ばせば届きそうなのにそれは何億光年という距離で一生かけてもつかむことなどはできない。
「まるで修一さんみたい」
 星はそれでも光を失わず、なに食わぬ顔をし、ドヤ顔で光を放っている。

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