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あき

 暑さが落ち着いてくるのと比例して身体がそれについていけなくてひどく倦怠感におそわれる。毎朝、栄養剤ならびに栄養ドリンクでは足りずクソまっずい青汁を飲んでから会社に行く。
「おはよ」
 ここのところ来なくなった『憂さん』がたまに会社に行く5分前にあらわれる。
「どうよ」
 まず体調を訊いてくる。
「いつものことだわ」
 そっけなくこたえると
「へー」
 それだけいってあたしの全体をゆっくりと舐めるようにみつめる。憂さんはそういえば男なのだろうか。女なのだろうか。全く不明な顔立ちだし服装も黄色で顔も声もどっちでもいける口だし性別欄にある、男・女・不明。の中の不明の人の人種に当てはまるに違いない。けれどそんなことはとるにたらないことだ。
「お薬、また勝手に増やして。たまには気分転換も必要だよ。あなたの場合は特にね。いつ呼吸が怪しくなるのか見当がつかないもの」
 それは正解だったし正論だったしたとえばテストなら100点満点な言葉に過ぎなかった。
「そうね。うん。疲れてもいるし。うん。仕事もね、恋も。そうね。全てに」
 憂さんは顔をしかめゆっくりとまばたきをする。ゆっくりと。余裕があるみたいに。ウーウー。遠くの方で消防自動車のサイレンがこだまをしている。たくさんの連なる音。大火事かしら。ふと考える。
「あなたの心のサイレン」
 え? あたしの? サイレン? あたしは憂さんの顔をのぞき込む。しかし顔中はもう真っ黒でうまく把握できない。心臓が野良犬に追いかけられ逃げてきたようにドクンドクンと早鐘を打っている。たちまち目の前がぼやけてきて急いでカバンの中にあるピルケースからソラナックスを1錠とりだし口の中に放り込んだ。み、水……。喉がすっかり乾いていてソラナックスがうまく飲み込めない。死ぬぅ。さらに追い討ちをかけるよう心臓が生き物のように動いて動いて仕方がない。
 水を飲みソラナックスを胃に押しやると途端バカみたいな鼓動は収まった。
「ほーらね。だからいったこっちゃない」
 憂さんはクスクスと口元を押さえて笑っている。笑わないでよ。だってあたしは薬がないと死んでしまうのよ知ってるくせに。なんでそんなに意地悪なの。シネ。
 憂さんは背中を丸めてスーッと消えていった。
 もう。あたしはその蜃気楼を眺めつつ会社に電話をする。
『すみません。今日、ひどい憂鬱なので有給で休みます』
『あ、はい。憂鬱休暇ね』
 事務の佐藤さんの声はいちいち元気だし甲高い。
「あー、もっと寝よ。睡眠が足りないんだわ」
 あたしはまたパジャマに着替え寝支度をする。その前に男にLINEをしておく。
【もう疲れました】と。
 あたしは秋のせいもあってひどく憂鬱だ。たまに憂鬱がやってきて憂鬱休暇を取ることにしている。夕食はナミちゃんを誘って焼肉でも行こうと決める。

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