切りすぎた髪

「こんなふうにしてください」
 わたしは美容師にスマホの画面を見せる。
「結構短くなるけれどいいの?」
「はい。いいです」
 即答だった。いいのだ。もう。切りたい。切って楽になりたい……。髪の毛を切れば楽になるわけじゃない。けれど、楽にとにかく楽に楽になりたい。
「じゃあ、切るね」
 ザクッと髪の毛を切る音と共にわたしは目をつぶる。もう、何も見たくないように。なにもかもから目を逸らすかのように。
 つぶった目の中から涙がとめどなく溢れてくる。瞼を下ろしていても瞼などちっとも役に立たないなとおもう。涙が、瞼なんてないかのように溢れてしょうがない。嗚咽が、もれる。けれど、美容師はなにも聞かずなにもいわずに身勝手に髪の毛を切ってゆく。ザクザクと。どうでもよかった。

 二日前にわたしは避妊リングを抜く手術をした。不正出血が続きリングのせいかもしれないということで取り除くことになった。下腹部がこの2ヶ月ほどずっと痛かったしいつも出血していた。取るか? 取って様子を見るかな。先生は軽く口を開いた。そんなに簡単なものなのかという不安と痛いだろうなという危惧。先生はすぐに終わるからねとまた軽くいい放ちウゲーと唸るほど痛かったけれどすぐにその手術は終わった。取ったらあっけなく下腹部の痛さが消え出血も少量になった。なんだ。そうだったのか。と安堵もあったけれど、この先、わたしはもしかして妊娠をしてしまう可能性がある体に戻ったのだと生々しい感想を持った。

妊娠……。避妊……。今までそんなこと皆目考えたことなどはない。無駄に性行為をし付き合う男たちは皆一様にわたしの中で果ててきた。今さら、今さら
「ご、ゴムをつけてくれる」あるいは「外で出して」といえるのだろうか。男たちは中出しができるわたしだったからあっていたのかもしれない。中出しもできない、ゴムをつけてしかできないわたしになってしまい今まで通りあってくれるだろうか。避妊など当たり前だけれどわたしに於いてはそれは今まで除外だった。わたしは抱かれることでしか男の愛を確認できない。抱かれることによって女、あるいは生きる意味を得ることが出来る。それがなくなってしまったのなら生きている意味が見出せない。バカじゃないの? 誰しもがおもうかもしれない。わたしはいつも自分に自信がない。都合のいい女であることが自信になっていた。バカらしい。けれどそれすらもできない女に男たちは会うだろうか。避妊をして。などと今さらいえないかもしれない。だからわたしは男からのメールを無視した。どう返していいかわからなかったからだ。

「そんなのさ、いえばいいんじゃないかな。普通でしょ? 避妊なんてさ」
 美容師はさらっといいさらっと答えをいいはなった。この美容師は知り合いでけれど性的な関係はない。泣きすぎていたので、あまりにも泣いていたので怪訝におもい、聞かれてつい話してしまったのだ。
「変なことで悩むんだね。髪どうかな?」
 涙を拭いメガネをかけ鏡にうつっている自分を見る。
「わっ」
 おどろいてつい声がでた。切りすぎたかもしれない。ずっと泣いていたから気がつかなかった。
「短いの、似合うよ」
 美容師は微笑みわたしの髪の毛を撫ぜた。優しい手で。鏡の中のわたしはとても幼く丸く消え入りそうな容貌になっておりさっきまでのわたしではなかった。
「うん」
 鏡の中のわたしがうなずく。真っ赤な目をして。それでいてちょっと愉快そうに。鏡の中からわたしが出てくる。そして、ちっ、と舌打ちをし、お前やっぱりバカじゃねーのと嫌味をいい美容師がもっている16万もするハサミをもぎ取り、あ、ダメだ! そのハサミは! いたずらに切れる! 声が遠のく。テレビの中の声のように。鏡の中のわたしは気が狂っている。はっと身構えた瞬間、ハサミが左目に刺さる。キャー、という声はわたしともう一人のわたしが出した声だけれど同じ声量なためどっちが叫んだ声かわからない。
 わたしはハサミが目に刺さったままぼんやりと鏡を見ている。
 血の涙を流しながら。鏡の中のわたしはもう鏡の中に戻っていてやはりハサミが刺さっている。
 自分で刺したのだろうか。バカじゃないの。
「シャンプーが楽になるし、痛んでいる所全部切ったから」
 わたしはまだ泣いている。情けないほど声が出る。鏡に写っているわたしの目にはハサミは刺さってなんていない。
「飯でも行くか。ちょっと待ってて」
 美容師の声がし、お店の中の有線の音がし、お客さんのひそひそと話す声がしわたしの呼吸の音がし二酸化炭素と一緒にため息も吐いた。

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