数独
雨が降っている。バケツをひっくり返したような雨が。車、きれいになるかなぁ。バケツをひっくり返したような雨が降るといつもおもうし、ほんとうにきれいになっている。
土曜日に修一さんにあった分だったけれど、雨だから無性に会いたくなりメールを打つ。雨だからという理由で。おもての仕事だしなという理由で。
いや、理由なんていうのは嘘でほんとうは毎日会いたいのが本音だ。
『おふくろの通院で市民病院にいる』
会いたいですとメールを打つとわりとすぐ返信が来た。
『そっか』
わたしからは2度も会いたいと打つことだけはやめている。わたしのルールだ。だからメールのラリーの中で向こうから会いたいような言葉の羅列がないようなら諦めるしかない。そっかとわたしが打ったあと急にラリーは止まる。
会えないよね。だって土曜日にあった分だし。途方に暮れかけたそのときメールがふわりという音とともに届く。近くの現場から出るという内容だった。なのであえて返信は現場近くの大型書店で待ってますと打つと、着いたら連絡してくれという返事だったからどちらともなくあう流れになったのだ。
「雨、すごいね」
助手席に乗ったと同時そういうと、ああ、参ったなと参った顔をし眉間にしわを寄せる。
「おふくろさんは、どうなの? 元気なの?」
「変わりないよ。酸素ボンベを持って行ったり来たりするのが大変なだけだし、月に2回は俺が病院連れてかないといけないからさ」
修一さんのお母さんは肺の具合が悪く酸素ボンベを背負っている。鼻から酸素を送っているらしい。酸素はうちで充電ができるという。
「薬がまあ大量に出るんだよ」
苦笑いを浮かべそうつけたす。
「親孝行してるね。親がいて出来ることだよ」
雨がまたさらに輪をかけて降っている。車は国道を超えちょっとだけ待ちはずれにある隠れ家的なホテルに向かっている。
ホテルの入り口に地元に特化したフリーペーパーが置いてあり(以前そのフリーペーパーのデザインをしたことがあった)なんとなく手にとって部屋に入る。
「なにのむ?」
どこのホテルにもだいたいあるサービスの無料ドリンクのことを訊かれ
「なんでもいい」
ほんとうになんでもいいのでそうこたえる。わたしはいつもなんでもいいとかどっちでもいいとか、どうでもいいよとか、大丈夫とか、平気だよとか自分の意思が全くないようなことをいってしまう。
チャイムが鳴り、ドリンクを取りにいくと、ビールと冷たいウーロン茶が置いてあった。
戻ると修一さんがおもむろにボールペンをとりだし、なにやら書き出している。なんだなんだ。わたしは肩が振れるほど寄り添いフリーペーパーを覗き込む。
数独が載っているページだった。
「なに? 数独なんてやるんだ」
語尾が上がってないので質問ではない。質問ではなくやっているていで訊いてみた。
「やるよ。好き」
へー、そうなんだといい、意外だなぁと心の中でつぶやく。そんな暇あるんだなぁという疑問が頭をもたげる。いつも忙しいイメージしかないから。
その実。わたしは数独など一度もしたことがなかった。だから、どうやるの? という疑問をぶつける。
「揃えていくだけだよ」
その声が耳をそっと撫でていく。べつにこのまま一生ここで数独をしててもいいなとおもってしまう。至福のときだった。
が、しかし、数独に夢中になりすぎてしまいはっと気がつくと2時間ほど経っていた。難解すぎて全部できなかった。ああ、これ無理だと根を上げる。
「むずかしいね」
なんとなく「ここ9じゃないの」とか「ここは3じゃないかな」とかいうと
「その根拠は?」
根拠をしつこく訊かれたからなんとなくだよというと、なんとなくじゃダメなんだよと叱られ、これはさ、やり直しが効かないのとさらに叱られる。
なんとなく数字を入れることは出来る。出来るけれどひとつでも間違えば全部間違ってしまう。
後戻りが出来ないのだ。
「わたしたちも間違ってるよね」
間違っていることをしているけれど、わたしたちは数独も間違ってしまう。なにもかも間違っているのだ。ほんとうは。
そんなことわかっている。
「さっきからさ、隣の部屋の声が聞こえてくるけど、わかる?」
「うん。すごく聞こえる。壁薄いのかな。ここ」
薄いんじゃねと彼は笑う。
立ち上がり作業着を脱ぐその背中を追うようにわたしは彼に抱きつく。
「このままで……」
彼は黙ってわたしに背後から抱きつかれている。もう帰りたかった。満足だったし寝ても寝なくてもいいとおもった。そんな日だってあってもいいって。
「……、雨、すごいから帰ろ」
静まり返った部屋に、隣の部屋にいるだろう男女の笑い声が聞こえてきてわたしは耳をそば立てた。
ホテルから出るとやっぱり大雨が降っており、わたしと彼はワーワーいいながら雨に濡れながら車まで駆け足をした。
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