8月31日の夜に

 お盆が過ぎたあたりから急に秋の気配を感じるようになった。けれどそれは夜に限ったことであり昼間のそれはまだ夏のように暑い。寒暖差に注意してください。という言葉を天気予報で耳にするようになった。
 しかし。あたしが小学生の頃は本当にお盆を過ぎると朝晩ともども涼しくて長袖の洋服に袖を通した記憶がある。
「ふーちゃんもう長袖着てるのね」
 友達にゆわれたことを思い出す。あたしも長袖にしようかなぁとつぶやいた友達の子どもっぽい顔も。
 そういえば、あたしは友達から『ふーちゃん』と呼ばれていた。本当の名前が『藤子(ふじこ)』なのでそうなった。なんのひねりもないあだ名。ふーちゃん。ふーこ。ふじちゃん。そういって友達はよくあたしを可愛がったしあたしは恐ろしいほど貧弱で虚弱で脆弱で貧血だったので皆がよく心配をした。小学校5年生の夏に自転車を漕いでいたら意識を失って倒れ気がついたら病院にいたことがある。腕には点滴が刺さっており側で母親が泣いていた。未だ鮮明に憶えている。目の前が蜃気楼を見ているみたいに揺れだし、あ、と身構える間もなく真っ白になって倒れたのだ。その日その夏を境にあたしはおもてに出てなくなった。また倒れるのではないのだろうか。そのような危惧がありおもてに出ると心臓が早鐘を打つのだ。
 とにかく病院にいき検査という検査をしまくった。けれど身体の中身はどこも悪くはなくそれが余計に疑問をうみ毎日毎日泣いたり母親に抱きついたりしてなんとかやり過ごした。夏も終わりかけのある夕方にあたしはうちにひとりでいてぼんやりと雨戸を開けて外を見ていた。空虚なその目に入ってきたのは緑色の夕焼けだった。橙色に染まるはずの夕日が空が全て緑なのだ。けれどその世界が当たり前のようにあたしの目にうつる。空にはカラスの大群が無駄に群がっていてカーカーと鳴いている。庭にあった柿の木に柿が実をつけている。鈴虫の声。秋の空気があたしの思考をまどわせる。それにしても世界がおかしなことになっていて目が離せなかった。もしかして死後の世界? そんな気もした。おもてに半月は出ていない。口数も減り体重もやる気も生きる気力も減っていたあたしはもうギリギリのところにいた。

 気がつくと母親がうちわであたしに風を送っていた。
「なんでこんなところで寝てるの?」怪訝な顔で見つめる母親の顔はどうしてだか真っ黒な能面をしていて顔が把握できない。
「わからない」
 もうおもては緑色ではなく夜の色に変わる準備を始めていた。弟が腹減ったと叫んでいる。あ、そういえば腹減ったかも。久しぶりに空腹を意識した。
「あたしね、おもてに出たんだよ」
 眠たい声で弟に話しかけると
「ふーん」
 うなずいてから、へー、よかったじゃん。といい、楽しかった? と続ける。
「ええ、とても。だってお腹空いてるの。とても」
「へー」
 弟はクスッと笑いあたしも同じ風に笑う。
 洋服にすすきの穂が付いていた。あたしはほんとうにおもてに出たのかもしれないし、はたしてそれはさだかではない。
「明日から学校だよ。お母さん。あたしいくね」
 宿題だけは家にずっといたので全部やってあった。自由研究は自由工作にして紙粘土で『動物園』をつくった。きりんやぞうやさいやサルをつくった。
「俺さ、まだ宿題終わってねーよ!」
 はぁ? 弟が慌てた様子で語尾を上げたので母親は顔をしかめつつも何もいわなかった。どこか諦めな顔を今でも思い出す。
 あの夏の日はとても不思議だったしけれどもしかしたら死んでいたのかもしれない。だから今いる世界が嘘の世界なのかとも思ったりする。本当の世界は何もかも緑色でおびただしい数のカラスがいる。
 8月31日になると毎年あの夏を思う。
 あたしはきっと1度死んでまた生まれ変わったのだ。と。

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