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にんしん? 5

「どうするの?」
 産婦人科に行き検査をすると案の定妊娠しており、先生は開口一番
「おめでとうございます」でもなく「妊娠何週目です」でもなく当たり前のように「どうするの? 産むの?」
 まるで産まないことを前提としたことを平然といってのけた。わたしはまさかしょっぱなからそんな辛辣な単語が出てくるなどとは皆目おもってもいなく返事をまだ持ち合わせていなかった。
「……」
 沈黙が通り過ぎてゆく。何秒か何分かたった頃、やっと出た言葉は
「……わかりません……」
 意味不明な言葉だった。わかりませんってと先生は嘆息をつき、早めに決めるようにと呆れたようにつけ足し、来月の半ばまでに決めたら来てくださいとちょっと憮然としたいい方をし締め括った。
 わかっていたことだった。そんなこと。はじめからわかってはいた。
 わたしの中で宿った命。
 『はっきりしたらちゃんと教えて欲しい』
 この前修一さんがいった言葉が頭の中で渦を巻きわたしは産婦人科の待合室でいよいよ動けないでいる。ガラス張の待合室に広がるまぶしい光たちが今はとても煩わしいとおもいふいと目を伏せる。

『どうだったの?』
 2日経ってから修一さんからメールが来る。もう無視をするしかないと決めどうだったのメールを3度程無視をしたのち
『本当に心配してる』
 このメールはズルいという心揺さぶるメールがきて迷ったけれどメールを返した。
『大丈夫だったよ』
 なにが大丈夫だったのかはあえて書くのはやめておいた。なので『なにが?』という文字が並ぶのは当たり前で『誤解だったみたい』というわかる人にはわかるメールを返した。
『あえるか』
 まあそうなるだろうなとわかっていたので、うんと打ち返し会うことになった。もう会わないと決めたのに。

 いつもの待ち合わせ場所ではないところを指定され時間に行くと修一さんはカローラワゴンではなくトラックで来た。ああだからここなんだと納得をする。そしてわたしの車の助手席に乗り込んで来る。
「本当に? 違ったの?」
 サングラスにマスク姿の修一さんからは現場の土くさい自然の匂いがする。お日様の匂い。クンクンとわからないよう犬のように鼻を鳴らす。
「うん。違ったみたい……。ご、ごめんなさい」
 心配かけてと続け謝る。いや、と修一さんは前置きをし、俺も悪かったんだごめんと同じよう謝る。わたしはいても経ってもいられなくなる。嘘をついたのだ。わたしひとりで決めればいい。まだなにも決めてはいないけれど。これ以上この人を困らせてはならない。何気なく修一さんの無骨な手に目を向けるとその人差し指に何重にも絆創膏を貼ってある。
「どうしたの? 指、怪我した?」
「え? ああ、これ」
 そういい真っ赤に滲んだ絆創膏を見せ、カッターでバッサリいったと苦笑いを浮かべる。腰が浮いたよとおどけてみせる。腰が浮くぅ? わたしはその言葉を繰り返す。なんとなくわかるよ。本当はちっともわからないけれど同意をしておく。
「なにを切ってたの?」
 質問ばっかりだけれど聞いてみる。
「スポンジみたいなやつ。そんなこと俺の仕事じゃなかったけれど……」
 修一さんがなぜかとても小さく見える。わたしが妊娠をしていないということを信じたかどうかはわからない。けれどもう修一さんからその話題は無くなった。もうそんなことで悩みたくない。そうも取れるし、いやそうなのだ。
 待ち合わせ場所の前にマンガ喫茶がありそこで話をすればいいとおもったけれど誰がみているかわからないという意見からやっぱりホテルの暖簾を潜った。
 いつものように部屋に入り、ソファーに座る。あ、この部屋前に入ったな、とおもいだす。とゆうか33の部屋数があるこのラブホの部屋はきっと全部支配したかもしれない。それだけ修一さんと抱き合っている。ポイントが加算されていく分、罪を重ねている。けれど当事者であるわたしたちにはそんなことなどまるで考えてはいない。ひっそりと会い続けては見えない誰かを傷つけている。それをしてはいけません。そこに入ってはいけません。それを除いてはいけません。いけません、という言葉はいやに魅力的な言葉でありそれとは裏腹に暴力的な言葉でもある。
「……ゆ、指、」
「えっ?」
 ソファーにうもたれうなだれている修一さんが、いてっとつい声が漏れる。
「ああ、うん。痛いよ。スッゲー血が出てさ、プシューっていう感じででた。こんなに出て死ぬんじゃないかって」
 スッゲーの辺りの声はばかに大きくで本当に血が吹き出たんだなと心の中でおもい、死なないでよかったねは声に出していう。
「笑えない冗談」
 修一さんはそういいふっと笑った。
「そんな痛々しい指で、しなくて、」
 そこまでいい
「シャワーしてくる」
 先に修一さんが立ち上がった。
「けど……、ゆ、指が……、痛いでしょ?」
 背中に問いかけるも返事などは返ってはこない。別に抱かれなくてもよかったし顔を見れただけでも満足だった。妊娠していないということを確かめたいのだろうかと考え、けどそんなこと裸になってもわかるものではないなと考える。
 薄暗い部屋の中で修一さんはわたしの背後にいて指を庇うようわたしの上で腰を動かす。大丈夫? 痛くない? わたしは何度か確認しその指先をそっと握りしめる。庇うように。中で出していいよというと、えっ? という顔をしたけれど、なんでともいいのともいわずいつものよう中で出した。ピルを飲んでるというと、そうかだけいい別にほっとした顔などはしていなく、結局修一さんは全部わたしのことを信じているかのようだった。いや、騙されてやるぞ。そうとも取れた。騙されるなら最後まで騙されてくれ。優しさなどいらない。嘘だとわかっていても騙されて欲しい。わたしは背中に乗っかっている修一さんの頬に手のひらを添える。そしてまた、大丈夫だった? と優しくて儚げげな声を出す。どうしてか。いとおしくて仕方がない。わたしの涙腺は決壊寸前で顔シーツに埋め込んだ。
 ベッドに血がそこらじゅうに付着していてわたしの体にもたくさんついていた。修一さんの指から出た血。精子も本当は血で出来ていることをわたしは知っている。赤ではなく白だけれど。こんなにしてまでわたしを抱く。性欲なのか。愛なのか。そんなものどっちでもいい。わたしはただあなたに触れたいだけ。なんでこんなふうになってしまったのだろう。修一さんがシャワーに行く後ろ姿を見送りながらそっとまた涙を流す。その涙はきっと赤色をしているに違いない。眠たい。瞼が徐々に重くなる。このまま眠ってしまいたい。わたしは布団を頭から被り、布団の中に潜る。精液の匂いの中に赤い点々が目に入る。はっと一瞬目を見開きそして目を閉じる。シャワーの音が止む。修一さんが戻ってきてソファーに座り、アイコスを手にとるのが見なくてもわかる。


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