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ゆるす

 ときどきといっても月に一度の頻度で、一人暮らしの母親から電話がある。『おねえちゃん、元気?』と。いつも思うのだけれど、母親はあたしのことを『おねえちゃん』と呼ぶ。いやいやあたしあなたの姉じゃないんだけれどね。あたしはしかし『うん。なんとか生きてるよ』とこたえる。『お母さんもなんとか生きてるよ』母親も同じようなことをいいながらクスクスと笑う。見えないけれどきっと肩をすくめている。母親は軽度の痴呆症で通院をしている。だから何度も何度も同じ言葉をくりかえす。その度あたしはいちいち同じことをこたえる。『あーもう。それ何回も聞いた』ということさえもう憶えてないのだからタチが悪い。エンドレス。永遠にこの話は続くのではないのか。そう考えぞっとしながらもなかなか電話を切れずだいたい、あ、キャッチ入ったから切るね、とそんな時間に誰からも電話などかかってくるわけなどないけれどそういって電話を切る。『うん。わかった。おやすみね。おねえちゃん』母親の声はひどく遠くに聞こえた。

「嫌なことはね、忘れるの。都合がいいけれど。ごめんね」
 以前母親にあったときにそういわれて泣きたくなった。謝ってすむなら警察はいらないわ。あたしは心の中でつぶやく。
 母親は17歳のあたしを捨てたのだ。あたしは17歳で孤独になった。うちを失い家族を失い自分を見失った。高校はなんとか卒業したけれどそれからは身体を売る以外若い肉体を売る以外生きていく術などないと悟った。18歳で身売りをし刺青を入れた。あたしはあたしではなくなった。愛も知らず男を受け入れすっかり不感症になった。パニック障害、拒食症に悩まされ薬づけの毎日。身体は悲鳴をあげてるけれど身体を売る以外のことは考えられずあたしは自暴自棄になり笑顔の作り方すらも忘れた。女友達とゆう人間が一人でもいたのなら相談のひとつやふたつでも出来たのかもしれない。けれどあたしには誰も友達などいなかった。いつもひとりぼっちだった。本が好きで本が友達だった。
 男は皆同じ生き物だ。脳内に刷り込まれた行為のいちいちはあたしをちっとも不快にさせなかった。それは自分の身体などどうなってもいいどうせなら殺して欲しいと切望をしていたから。幾度も死のうと考えた。手首を切ったり睡眠薬を大量に飲んだり。19歳のあたしはすっかり若さを吸い取られたお婆さんのようになったいたし体重も33キロになっていてまるでミイラだった。髪の毛が大量に抜け肋骨が見えて座ると骨があたり痛くて泣きそうになっても男はおかまいなしに枝のようなあたしを抱いた。もうなんとも思わなくなっていた。あたしは2回目の死を迎えた。
 母親にあったのはあたしが子どもを産んだときだった。あら、そんな感じであたしの前に唐突にあらわれた。それ以降付かず離れずな曖昧な関係を保って接しているけれどあたしの若い頃の辛さや悲しみ憎しみなどは母親は知らない。
 母親はいつか死ぬのだ。
 もういいじゃないか。ゆるしても。ゆるすのも勇気なのか。ゆるすのも優しさなのか。ゆるすのも大人のそれなのか。一体ゆるすってなに。あたしをゆるしてからでないと母親をゆるせないのか。ゆるすときはあたしが死ねばいいのだろうか。
 いつも死にたい願望があるあたしは絶対に母親よりも先に死んでやるって思って生きてきた。
 それが最大の親不孝だから。けれどそれでゆるせるかどうかわからない。このままいけば母親の方が先に死ぬ。
 過去はいつまでもついてくるし過去はいつもあたしを苦しめる。
 自分が親になってもなおもまだ母親をゆるしてない子どもじみたあたし。情けないしなきたくなるし本当に死んだほうがいいのでは? とも思う。
 くだらない。
『また電話するね。一人はさみしいから』
『……。うん。さみしい、ね……』
 さみしいね。あたしはねいつもさみしかったんだよ。お母さん。わかる? いいね。都合の悪いことは全部忘れてさ。
 くだらない。
 あたしはアイコスに火をつける。
 白い煙はふわふわと立ちのぼり蜃気楼のよう天井に吸い付いてゆく。


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