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ねむる

 なおちゃんはまだ起きていて、部屋に入ったせつな、やあ、と挨拶をし、寒かったろ? と訊いてきた。ううん。特に。本当にあまり寒くなったので首を横にふる。へー、といったのと時間を確認したのがほぼ同じで、もう23時を過ぎていたけれどなおちゃんはなにもいわないしたずねない。
「あれ? 今日もまたゴルフだったの。また」ゴルフウェアを着ていたからだったから訊いた。
 また、を2度繰り返していったのは先週も先々週もそうだったからだ。
「うん。そう、また。今日は最高にスコアよかったけどね」
 そんな結果なんて聞いてねーし。と胸内で毒づくも、そっか、とまことにそっけない態度をとる。
「シャワーしてくるね」
 なおちゃんの華奢な背中に声をかけ洗面台に向かった。
 あたしは今日ヘルスのバイトに行った。だからたくさんシャワーを浴びているしいやいやってゆうかかさかさのそれでもうシャワーはうんざりだった。ゴルフなんて。ゴルフなんてと考える。あたしは仕事とはいえヘルスで遅くなったのだ。なおちゃんはもちろん知る由もない。ゴルフなんてかわいいものだ。けれどなぜこんなにも責めたような口調になってしまうのだろう。洗顔をしながらぼんやりと考える。何人かの男に触られた身体をなおちゃんに触られることでリセットをしているのかもしれないしなおちゃんに依存の傾向もあるしじゃあだったら辞めたらいいじゃないの。そうも思うもどうしてもなおちゃんでは埋まらない心の中の空洞がある。
 髪の毛がタバコとヘルス独特の匂いと入り混じった異臭がして髪の毛もいっそ洗うことにして洗う。ショートボブの髪の毛はシャンプーも楽だ。洗い終え洗面台で髪の毛を乾かそうとしたけれどいつも置いてある場所にドライヤーがないことに気づく。
「なおちゃん」
 べたべたの髪の毛のまま寒い廊下でなおちゃんを呼ぶ。けれどテレビの音が大音量で聞こえないため、再度「なおちゃーん」とあたしにしては最大級の大きな声で叫ぶ。はいはい、と洗面所にきたなおちゃんに、ねぇ、ドライヤーは? と鏡越しに質問をする。隠したの? とさらに重ねる。まさか、なおちゃんはクククと笑い、あれ、会社に持っていったんだよ、とさらっといい、塗装を乾かすのにいいかなーって。とまた続ける。
「まじでー」
 あたしは困惑を隠しきれなく声をあげた。シャンプーをしてしまいました。つい。
「まじか」
 んー。自然乾燥しかないな、となおちゃんはあたしの手を引いて暖房の下に座らせわしゃわしゃとバスタオルで頭をふいていく。雨の日に迷い込んだ野良猫のみたいじゃんと思う。
「乾いてきたよ」
「うん。もう自分でするからいいよ」
 酔っているのでやけに執拗だった。いいからね、と制してもいいよいいよといいながらまだバスタオルを離さない。あたしはもはや野良猫になった。
 自然乾燥だとなんでこんなにも髪の毛がきしむのだろう。泣きそうになりつつも手ぐしで整えて布団に滑り込む。裸のまま暖かい部屋の中で布団の中は最高かよ、と感じる。
「ねる」
 なおちゃんも布団に入ってきて裸になり裸のあたしをつかまえ少しだけ遊んだあと飽きたころスースーと規則正しい寝息がきこえその寝息に呼応するように意識をしているとそのまま意識が遠のいていった。

「すみません」
 あたしはどうやらスーパーで万引きをしたらしくスーパーのバックヤードで事情聴取を受けている。会社の隣にあるコンビニの店長でそのいかついおじさんが目の前にいて目くじらを立てている。
 うなだれているあたしはあまりの心細さに涙を流しながら、すみません、すみませんと何度もあやまる。
「警察を呼びました」
 ハッと顔を上げ、また顔をおろす。なにか言葉を発しようとしてもなかなかうまく口があかない。弁解の余地もない。あたしはなにもしてません、本当です。この理不尽な状況が現実離れしていることを察し、ああこれは夢だなと思ったときハッと目が覚めた。心臓がバクついていて冷や汗が背中に覆い被さっていた。
 盗んだものは『口紅』だった。それも真っ赤な。あたしはスマホを手に取って、夢、口紅と検索欄に打ち込む。時計は3時半だった。
『情熱・生命力・怒りなどの意味があります』
 その結果を見てなるほど。と思う。納得をしてスマホを横に置き再び目蓋をおろした。なおちゃんは隣で子どもじみた顔をしてスースーと眠っている。
 目覚めたらまだおもては暗ぼったくてまだ6時くらいかなという確信のもとスマホを見てぎょっとする。朝の11時だった。なおちゃんはテレビを見ながらもうビールを飲んでいた。
「おはよ」
 背中に声をかけると、振り向いてから、ああ、という顔をし、よく寝るねと付け足す。
「寝る子は育つでしょ」
「もう育ちませんね。残念だけど」
 背中が上下して笑っているのが見て取れた。
「笑い事じゃないの。あたしね、なにせ万引きをしてね、警察に連行されそうになったんだよ。でね、もうこわくって。なおちゃーんたすけてーって叫んだの。必死で」
「はぁ?」
 困った顔をしたなおちゃんはあたしがまだ寝ぼけていると思ったのか、顔を洗ってきなよ、とやけに勧め、飯食う? と訊いてくる。
「くう」
 テーブルの上にローソンのカツサンドがあるのか見えて急に空腹を感じつつ顔を洗いにいく。
 え? あたしはぎょっとする。洗面台の上に赤い口紅が置いてあったのだ。
「なにこれ?」
 手に取ってまじまじと見入るもあたしのものではないし昨日はなかったような気がする。
「なにこれ?」
 疑問をかなり抱えたままあたしはつめたい水で顔をバシャバシャと洗いタオルで顔の水分を拭った。


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